進化論は嘘 464

 

                  マタイの福音書244351

 

43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

 

44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

 

45 主人から、その家のしもべたちを(まか)されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実(ちゅうじつ)(かしこ)いしもべとは、いったいだれでしょう。

 

46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

 

47 まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。

 

48 ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、

 

49 その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、

 

50 そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。

 

51 そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

 

 

 

4 つのたとえ話(第1 と第2

 

  第1 のたとえ話(泥棒の侵入を許さない家の主人)

 

メシアの再臨を待つ信者たちは、いつそれが来てもよいように備えておかなければならない。その点を強調するために、イエスは合計5 つのたとえ話を語っておられる。最初のたとえ話は、マルコ133337 に出てくる。残りの4 つは、マタイに書かれている。ここではマタイに出てくる4 つのたとえ話を、順番に見ていくことにする。これらのたとえ話に共通するテーマは、備えのある者とそうでない者の対比である。備えのある者とは、イエスをメシアと信じる者たちであり、備えのない者とは、イエスを信じていない者たちである。
マタイに出てくる第1 のたとえ話は、「泥棒の侵入を許さない家の主人」の話である。泥棒がいつ来るか分かっていれば、その侵入を防ぐことができる。しかし、それが分からないのだから、いつ狙われても大丈夫なように準備しておく必要がある。そのように、再臨を待つ信者たちも、常に備えができていなければならない。

 

 

   第2 のたとえ話(家の管理を任されたしもべ)

 

次のたとえ話は、「家の管理を任されたしもべ」の話である。主人が管理人に大家族の管理をすべて任せて旅に出るのは、珍しいことではなかった。(1)管理人には、その家のしもべたちに食事をきちんと与える責任がある。(2)その命令を実行する「忠実な思慮深(しりょぶか)いしもべ」には、主人からさらに大きな仕事が委ねられる。(3)しかし油断したり、自分の立場を悪用して仲間を打ちたたいたり、宴会騒ぎをしたりする不忠実なしもべは、思いがけない時に帰って来る主人から、厳しく処罰されることになる。
くり返しになるが、忠実なしもべ(備えのある者)と不忠実なしもべ(備えのない者)の差は、信仰のある者とない者の差である。主イエスがこれらのたとえ話を語られてから、約2 千年が経過した。人間の目には、メシアの再臨が遅すぎるように見えるかもしれないが、そうではない。神の計画は、人間のタイムテーブルに従って進むものではない。時が来たなら、速やかにメシアの再臨が起こる。それに備える唯一の方法は、メシアを信頼することである。もう一度自らの備え(信仰)を確認しよう。また、備えのできていない人(イエスを信じていない人)を待っている悲惨な運命を思い浮かべ、その人たちに熱心に福音を宣べ伝えようではないか。

 

 

 

                        きょうの祈り

 

天の父なる神さま。イエスを私の救い主、人生の主と信じます。主イエスの再臨を心から待ち望みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより

 

https://message-station.net/clay/daily/2021/12/16/2536/