進化論は嘘 449

 

                                マタイの福音書23612

 

6 また、宴会の上座(じょうざ)や会堂の上席が大好きで、

 

7 広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。

 

8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。

 

9 あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。

 

10 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。

 

11 あなたがたのうちの一番偉大(いだい)な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。

 

12 だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

 

群衆と弟子たちへの教え(2

 

                     権威ある称号

 

イエスは、パリサイ人たちの4 つの間違いを指摘した。前回は最初の3 つの間違いを取り上げたので、今回は4 番目の間違いについて学ぶ。この箇所で指摘されているのは、「権威ある称号を求める」という間違いである。パリサイ人たちは、単に権威ある称号だけではなく、それに伴う特権を求めた。誤解されやすい箇所なので、ユダヤ的背景を考慮しながら解釈してみよう。
ここでの文脈は、「教師と生徒の関係」である。当時、生徒が教師を呼ぶ呼び方として4 つのものがあった。(1)ラビ(rabbi)、(2)先生(teacher)、(3)父(father)、(4)師(master)。これらの称号を獲得した人は、生徒に対して不当とも思えるほどの権威を行使した(肉の父を「父」と呼ぶことが禁止されているわけではない。これはあくまでも、「教師と生徒の関係」を論じたものである)。例えば、当時のラビたちは、自分の生徒の職業や結婚の分野にまで決定権を行使していた。これでは、ラビが生徒の人生を支配しているのと同じことである。また、ラビは生徒の人生で最も大切な人と見做された。例えば、もしラビと父親とが同時に誘拐(ゆうかい)され、身代金を要求されたとする。生徒は、父親を助ける前に、ラビを助けるための金を集めなければならないとされた。このような考え方を()し進めていけば、カルト的集団が出来上がる。イエスが禁止されたのは、ある人が別の人の上にこのような絶対的権威を振るうことである。

 

                     

                    私たちへの適用

 

イエスの真の弟子の特徴は、次の聖句によって知ることができる。「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません」。また、仕える人には次のような祝福が約束されている。「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」。日本の習慣では、相手を尊敬する意味で、「先生」という言葉を使う。この習慣と、ここでイエスが教えておられる内容とは矛盾するものではない。私たちに必要なのは、バランス感覚である。聖書は、教会内に教師、牧師がいることを認めている。また、主にあって労している人を敬うようにとも教えている。では、私たちはどうすればいいのか。みことばを教えている指導者を敬うべきである。と同時に、指導者が大きな権威を行使することに伴う弊害(へいがい)も知るべきである。最後に、自分を低くする者が高くされるということを思い出し、謙遜(けんそん)という御霊の実をつけることができるように励もう。

 

 

                        きょうの祈り

 

天の父よ。私の周りに主にある教師が置かれていることを感謝します。主にあって労している人たちを敬うことができますように。また、その人たちが主を恐れつつキリストの律法を全うできますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより

 

https://message-station.net/clay/daily/2021/12/01/2491/?doing_wp_cron=1638321183.3016719818115234375000