進化論は嘘 443

 

                 マタイの福音書221522

 

15 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。

 

16 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。

 

17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」

 

18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者(ぎぜんしゃ)たち。なぜ、わたしをためすのか。

 

19 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。

 

20 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像(しょうぞう)ですか。だれの(めい)ですか。」

 

21 彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

 

22 彼らは、これを聞いて驚嘆(きょうたん)し、イエスを残して立ち去った。

 

 

 

パリサイ人とヘロデ党の者たち

 

          仕組まれた問い

 

エルサレムに入城したイエスは、4 種類の人たちからの挑戦(吟味(ぎんみ))を受ける。この箇所では、2 番目の人たち(パリサイ人とヘロデ党の者たち)がイエスを吟味する。政治的には、パリサイ人は反ローマ、ヘロデ党は親ローマである。普段(ふだん)は敵対していた者同士が、イエスを共通の敵として行動をともにしている。
彼らは政治的テーマをぶつけることで、イエスを有罪に追い込もうとした。「カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか」。これは、どちらに答えても窮地(きゅうち)(おちい)るような種類の問いであった。(1)「イエス」と答えると、民衆は怒る。カイザルに税を納めるということは、カイザルが王であり、ローマがユダヤの上に権威を持っていることを承認したことになる。それは、真の王であるイスラエルの神を退(しりぞ)けたことと見做(みな)される。もちろん、イスラエルの民は間接的にはローマに税を納めていたが、ここで論じられているのは、直接的、かつ積極的に税を納めるべきかどうかということである。(2)「ノー」と答えると、イエスは反逆罪のためにローマの官憲(かんけん)によって逮捕(たいほ)され、死刑に処せられる。これは、イエスに敵対する者たちが最も望んでいたことである。

 

 

          イエスの知恵

 

イエスは、その知恵によって、この難問を退ける。ローマに納税するために使用するデナリ貨には、「カイザル」の肖像が刻まれていた。この貨幣(かへい)を持つことは偶像礼拝に当たると考えられていたため、ユダヤ人たちがこれを神殿税のために用いることはなかった。イエスはこの貨幣を手に取って、こう宣言された。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」。この宣言によって確認された原則は、次のようなものである。(1)権威には、神の権威とこの世の権威(政府)の2 種類がある。創世記9 章以降、どの時代でも地上にはこの世の権威(政府)が存在していた。(2)この世の権威は神によって立てられたものであるから、その権威に従ったからといって、神の権威を否定したことにはならない。(3)この世の権威は一時的なもの(ローマもいつか滅びる)で、やがて恒久的(こうきゅうてき)な権威が確立される。それはダビデの子(メシア)が統治するメシア的王国において確立されるものである。
ジレンマに直面したとき、神の知恵を求めようではないか。信仰による祈りは、神の知恵を引き出す(かぎ)であり力である。物理的力ではなく、目に見えない知恵こそ問題を粉砕(ふんさい)する神の力である。

 

 

 

                       きょうの祈り

 

イエス・キリストの父なる神さま。今私は、上からの知恵を求めます。どうか私が、あなたの知恵によって判断し、行動するしもべとなれますように、私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより

 

https://message-station.net/clay/daily/2021/11/26/2410/