進化論は嘘 435

 

                   マタイの福音書2117

 

1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、

 

2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。

 

3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」

 

4 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。

 

5 「 シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和(にゅうわ)で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」

 

6 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。

 

7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。

 

 

 

勝利の入城(1

 

          ベテパゲという村

 

イエスの公生涯における4 度目の過越の祭りがやってきた(イエスの公生涯が3年半続いたと判断するのは、このためである)。このときイエスは、ベタニヤに滞在しておられた。ベタニヤは、オリーブ山の東山麓(さんろく)にある村で、エルサレムまで徒歩で通える距離に位置していた。そのベタニヤとエルサレムのちょうど中間、オリーブ山の山頂近くに、ベテパゲという村があった。イエスは、その村でろばの子を調達し、それに乗ってエルサレムに入城された。人を乗せたことのないろばの子は、暴れるものだが、イエスを乗せたろばの子は暴れなかった。ここには、イエスが自然界を支配されるメシアであることが表現されている。
イエスのエルサレム入城は、旧約聖書の預言の成就である。イエスは、過越の小羊としてエルサレムに入城された。その日は、紀元30 年のニサンの月の10 日であった。この背後には、神学的意味が隠されている。出エジプト1226 によれば、過越の小羊はニサンの月の10 日に選り分けられ、14 日まで傷やしみがないかどうか吟味されることになっていた。イエスは、過越の小羊が選り分けられる日に、神の小羊としてエルサレムに入城されたのである。

 

 

            ろばの子

 

イエスが「ろばの子」に乗って入城されたのは、ゼカリヤ99 の預言の成就である。「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」。イエスは、平和の君として来られた。普通、王は馬に乗って入城する。それに対して、ろばに乗るのは、平和の人、商人、祭司などである。イエスのエルサレム入城は、柔和な王による勝利の入城である。今、過越の小羊、柔和な王、平和の君として来られた主イエスを礼拝しようではないか。
イエスは、「主がお入用なのです」ということばを弟子たちに言わせている。イエスは、ゼカリヤ書の預言を成就するために「ろばの子」を必要としていたのである。母ろばと子ろばの所有者たちは、その預言が成就するために用いられた(ルカ1933 の原文では、ろばの子の持ち主が複数いたことになっている)。神は今も、喜んで自分を献げる人々を通して働いておられる。大切なのは、「主がお入用なのです」ということばを聞いて、主が求めておられるものを差し出すことである。これなら、どんなに貧しい人でも実行できる。「主がお入用なのです」ということばを聞いている人は、幸いである。

 

 

 

                      きょうの祈り

 

天の父なる神さま。ろばの子のような私ですが、どうかあなたのご用のために用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより