進化論は嘘 419

 

                   マタイの福音書171421

 

14 彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、御前にひざまずいて言った。

 

15 「 主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。

 

16 そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」

 

17 イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」

 

18 そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。

 

19 そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」

 

20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。

 

21 〔 ただし、この種のものは、祈りと断食(だんじき)によらなければ出て行きません。〕」

 

山麓での出来事

 

           無力な弟子たち

 

イエスが山麓(さんろく)に下りて来ると、そこでは、9 人の弟子たちが、悪霊を追い出せなくて苦闘(くとう)していた(マコ91429 参照)。(1)律法学者たちは、イエスの弟子たちが悪霊を追い出せないのを見て、イエスのメシア性を否定した。メシアの弟子であるなら、悪霊の追い出しができないのはおかしいという理屈(りくつ)である。イエスの弟子たちと律法学者の論争を(なが)めるために、群衆がそこに集まっていた。(2)その時、悪霊につかれたひとり息子を持つ父親が、助けを求めて群衆の中から(さけ)んだ。「主よ。私の息子をあわれんでください。その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした」。この悪霊は凶暴(きょうぼう)な悪霊で、息子を自殺へ追いやろうとしていた。(3)イエスは(なげ)いて、群衆と弟子たちにこう言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。次にイエスは、その子を連れて来させ、悪霊の追い出しを行われた。ユダヤ人たちがイエスのメシア性を拒否して以降(マタイ12 章)、イエスは(おおやけ)の場での奇跡を行わなくなっていた。イエスのメシア性を証明するための奇跡は、与えられなくなったのである。この箇所での悪霊の追い出しは、個人の必要に対するイエスの(あわ)れみの表れとして行われたものである。

 

          弟子たちの質問

 

弟子たちはイエスに、なぜ自分たちには悪霊が追い出せなかったのかと問うた。それに対するイエスの答えは、2 つあった。(1「信仰が薄いからです」。信仰があれば、この山を動かすことができる。「この山」は、比喩的(ひゆてき)に解釈すべき言葉で、「王座」、「権威」などを意味する。この文脈では、「サタンの王国」と解釈できる。私たちは信仰によって、サタンの王国をも粉砕(ふんさい)することができる。(2「この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません」「この種のもの」とは何か。マルコ925 に貴重な情報がある。この少年は、耳が聞こえず、口もきけない悪霊につかれていた。この種の悪霊の場合は、その名を呼んで追い出すという通常の方法が通用しなかった。また、この種の悪霊は、メシアだけが追い出せるもの(メシア的奇跡)とされていた。イエスは弟子たちに、「この種のもの」は祈りと断食によって追い出すのだとお教えになった。
ここでのイエスの教えは、将来の奉仕のための弟子訓練となっている。私たちも、主イエスから訓練を受けようではないか。信仰、祈り、断食によって、悪霊の誘惑に勝利しようではないか。

 

 

                        きょうの祈り

 

天地創造の神よ。私を信仰と祈りの人と変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより