進化論は嘘 416

 

                   マタイの福音書1713

 

1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。

 

2 そして彼らの目の前で、御姿(みすがた)が変わり、御顔(みかお)は太陽のように輝き、御衣(みころも)は光のように白くなった。

 

3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

 

 

 

イエスの変貌

 

            栄光の輝き

 

「ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます」(マタ1628)。この約束が与えられてから6 日経って、イエスは3 人の弟子たち(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて高い山に上られた。この山に関しては、タボル山説とヘルモン山説があるが、タボル山頂には要塞(ようさい)と偶像の宮があったので、恐らくヘルモン山であろう。変貌山の出来事は、マタイ1628 の預言の成就である。
1)祈りの中で、イエスの御姿が栄光に(かがや)き始めた。この栄光の輝き(シャカイナ・グローリー)は、イエスがメシア的王国(千年王国)でお持ちになる栄光そのものである。(2)出エジプト3234 章には、モーセの顔が輝いたという記事がある。モーセは、シャカイナ・グローリーを反射させただけで、内側から光が輝いたわけではない。イエスの場合は、シャカイナ・グローリーが内側から輝き出た。それまでは肉体という幕屋によってさえぎられていたシャカイナ・グローリーが、肉体を通り抜けて輝き出たのである。(3)この出来事は、イエスのメシア性を証明している。人からは拒否(きょひ)されたイエスが、天の父からはメシアであるとの保証を受けたのである。さらにこれは、やがて実現するメシア的王国(千年王国)の予表でもある(2 ペテ11618)。

 

 

           モーセとエリヤ

 

1)モーセとエリヤが現れて、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期(さいご)について」(ルカ931)、イエスと話し合っていた。「ご最期」と訳された言葉は、原文では「出エジプト」という意味である。イエスの十字架は、人間性の制約からイエスを解放するものとなる。と同時に、信者を罪から解放する力ともなる。そういう意味で、十字架の死は「出エジプト(解放の出来事)」という言葉で表現されるのである。(2)この光景は、イエスが旧約聖書(律法と預言者)の成就として来られたメシアであることを表している。(3)さらにこれは、死後のいのちの保証ともなっている。モーセは死から復活する聖徒の代表であり、エリヤは死なずして天にあげられる(携挙(けいきょ)される)聖徒の代表である。さらに言うなら、3 人の弟子たちは、肉体を持ったままで千年王国に入る聖徒たちの予表である。
死後のいのちがあることを確信する人は幸いである。やがてシャカイナ・グローリーに包まれて生きるようになることを知っている人は、幸いである。今、栄光に満ち満ちた三位一体の神を礼拝しようではないか。

 

 

 

                        きょうの祈り

 

天の父なる神さま。私に永遠のいのちの保証を与えてくださり感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより