進化論は嘘 406

 

                  マタイの福音書151520

 

15 そこで、ペテロは、イエスに答えて言った。「私たちに、そのたとえを説明してください。」

 

16 イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。

 

17 口に入る物はみな、腹に入り、かわやに捨てられることを知らないのですか。

 

18 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。

 

19 悪い考え、殺人、姦淫(かんいん)、不品行、(ぬす)み、偽証(ぎしょう)、ののしりは心から出て来るからです。

 

20 これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」

 

 

 

たとえの解説

 

           ペテロの質問

 

すでに書いたように、ユダヤ人たちがイエスのメシア性を拒否して以降(マタイ12 章以降)、イエスはたとえ話を多用するようになった。そのころのイエスの教えには、一定のパターンが見られる。(1)イエスがたとえ話で民衆に教える。(2)しかし、その教えは民衆には難しすぎて理解できない。(3)民衆だけでなく、弟子たちもそれを理解することができない。(4)そこで弟子たちは、イエスにたとえ話の解き明かしを求める。その場合、ペテロがスポークスマン役を(つと)めることが多かった。(5)イエスは、弟子たちの求めに応じて、たとえ話の解き明かしをする。
以上が一定のパターンであるが、この箇所でも同じパターンが現れている。この文脈の中では、イエスは3 つのたとえを語られたが、弟子たちにはその意味が理解できなかった。そこでペテロが弟子集団を代表して、「私たちに、そのたとえを説明してください」と願った。

 

          イエスの答え

 

イエスは、「あなたがたも、まだわからないのですか」と驚かれた。そして、こう説明された。「口に入る物はみな、腹に入り、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません」。イエスの結論は、人を汚すものは心から出るのであって、食物を通して口から入るのではないということである。律法主義の限界は、人の汚れを外からの悪影響の結果と見ている点にある。イエスは、人間の罪や汚れの原因は、心の中にあることを見抜いておられた。イエスは、人間の本質を深く理解しておられたのである。
興味深いのは、スポークスマン役を果たしたペテロが、これと同じ教訓を、使徒の働き10 章の「汚れた動物の(まぼろし)」によって、再び学ばされていることである。その箇所では、「神は、ユダヤ人であっても異邦人であっても、(かたよ)った見方をされる方ではない」という真理が啓示されている。外側が問題なのではなく、内側こそ問題である。罪人の心の中には、悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりなどが宿っている。内側の清めは、聖霊による新生によってしか実現しない。新生体験の後も、日々聖霊によって清めていただく必要がある。新生も聖化も、すべて聖霊の御業(みわざ)であることを覚え、聖霊の導きに応答する歩みをしようではないか。

 

 

 

                        きょうの祈り

 

天の父よ。今聖霊によって、私の内側の汚れをきよめ、あなたの子としてふさわしい姿に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより