進化論は嘘 405

 

                  マタイの福音書151014

 

10 イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。

 

11 口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」

 

12 そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。」

 

13 しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。

 

14 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」

 

 

 

たとえで語るイエス

 

           群衆に対して

 

「清めの洗い」に関する論争の続きである。イエスは群衆を呼び寄せて、こうお語りになった。「聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します」。これはたとえを用いた教授法である。しかし、群衆も弟子たちも、その意味を理解することができなかった。イエスは、ユダヤ人の指導者たちがイエスのメシア性を拒否した時から、たとえを多用するようになっていた。その目的は、群衆の目からは真理を(かく)し、弟子たちには真理を見せるためであった。

 

 

          弟子たちに対して

 

次に、弟子たちがイエスのもとに来て、パリサイ人たちが腹を立てていると報告した。それに対してイエスは、さらに2 つのたとえを用いて、パリサイ人たちの現状を解説された。(1「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます」。これは、神から出ていないことは、やがてみな滅びていくという意味である。口伝律法やパリサイ派の教えは、神が植えた木ではない。それらのものは、やがてみな滅びていく。(2)イエスの教えの重みをしっかりと受け止めようではないか。現代のユダヤ教は、口伝律法(ミシュナ)から発展したタルムードという聖典を信仰の土台に()えている。タルムードの教えがいかに深遠で伝統のあるものであったとしても、啓示された神のことばと矛盾(むじゅん)しているなら、それは「人間の教え」に過ぎない。タルムードは、聖書が教える単純な真理を極めて複雑なものに変えている。(3「彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです」。これは、エルサレム滅亡(めつぼう)の預言である。紀元70 年にローマ軍が町と神殿を破壊した時に、この預言は成就した。イエスは、指導者コンプレックスに陥っているユダヤ人たちの悲劇を、この時点ですでに見抜いておられたのである。
私たちは、外面的に華麗(かれい)なものに引かれて行く性質を持っている。それゆえ、常に、神から出ていないものは(むな)しいものであることを思い出す必要がある。人から出たものは、いつか滅びてしまう。特に、神に敵対する人物や思想は、永遠の罰を受ける。神が啓示された救いの道(イエス・キリストの福音)は単純である。私たちは、恵みにより、信仰によって救われた。「イエスは主なり」と告白し、父なる神をたたえようではないか。

 

 

 

                       きょうの祈り

 

イエス・キリストの父なる神さま。どうか私の霊の目を開いてください。開いた目で、迷いの中にある人たちを導くことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより