進化論は嘘 391

 

                   マタイの福音書133132

 

31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、

 

32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

 

 

 

からし種のたとえ

 

          天の御国のたとえ話

 

このたとえ話も「奥義としての王国」の特徴を教えるために語られたものである。目的は、教会時代の宣教のために弟子たちを整えることにあった。「奥義としての王国」は、ユダヤ人たちがイエスを拒否した時点から始まり、イエスの再臨まで続く。この王国時代の中心は「教会時代」である。従って、マタイ13 章にある一連のたとえ話は、教会時代に何が起こるかを予告したものだといえる。
この時点での弟子たちの理解力は、いまだに不十分なものであった。彼らは、メシアであるイエスが十字架にかかって死ぬことも、3 日目に復活することも予期していない。彼らが一連のたとえ話の意味を理解するようになるのは、ペンテコステの日に聖霊が下って以降、つまり教会時代が始まって以降のことである。今の時代に生きる私たちは、当時の弟子たちよりもはるかに恵まれた条件の中にいるので、一連のたとえ話の意味をより深く理解することができる。

 

 

          からし種のたとえ

 

からし種のたとえは、どのような真理を教えているのか。(1)からし種は、小さいものの代名詞である。「どんな種よりも小さい」というのは、非常に小さいという意味である。(2)からし種は、蒔かれると驚くほど生長し、中には3 メートルを超えるものも出てくる。つまり、「奥義としての王国」の始まりはきわめて小さなものであるが、それが驚くほどの成長を()げるということである。現在私たちは、このたとえ話が成就しつつあるのを目撃している。(3)では、「枝に巣を作る空の鳥」は何を表しているのか。文脈を重視するというのが、聖書解釈の大原則である。「鳥」という言葉は、すでに「種蒔きのたとえ」の中に出てきた(4 節)。この鳥は、「悪い者」(サタン)を指していた(19 節)。「種蒔きのたとえ」の直後に出てくる「からし種のたとえ」でも、同じ解釈を施すべきである。
以上のことをまとめてみよう。「奥義としての王国」の時代には、キリスト教界(教会ではなく教界)が世界的な広がりを見せる。しかし、サタンや悪霊は依然(いぜん)として活発に活動を続ける。キリスト教の体裁(ていさい)を取りながらキリストの神性を否定している異端(いたん)(エホバの証人、モルモン教、統一協会など)や種々のカルト集団が、これに当たる。主イエスの再臨までは、サタンと悪霊が暗躍(あんやく)する時代が続くことを知っておこう。闇の力の策略を見抜くためには、みことばの理解が不可欠である。日々のデボーションを通して、霊的洞察力(どうさつりょく)を養おうではないか。

 

 

                        きょうの祈り

 

天の父よ。常に霊の目を覚まし、敵の策略を見抜くことができますように、私をお助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより