進化論は嘘 385

 

                  マタイの福音書124650

46 イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。

47 すると、だれかが言った。「ご(らん)なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」

48 しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」

49 それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。

50 天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

 

イエスの家族

            母と兄弟たち

イエスの母と兄弟たちは、イエスの頭がおかしくなったのではないかと心配になり、彼を連れ戻そうとして戸口に立っていた。この時点では、家族もまたイエスを理解していなかったのである(ヨハ75 参照)。彼らは、イエスに関するうわさを聞き、心配になって()けつけて来た(マコ321)。
家族が戸口にいることを聞いたイエスは、「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか」と答え、さらに弟子たちの方を向いて、「天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」と語られた。この箇所(かしょ)から、イエスは親や兄弟たちを粗末(そまつ)(あつか)ったという結論を出してはならない。ここには、霊的に重要な真理が(かく)されている。

 

           イエスの教え

パリサイ人たちは、血のつながりを重視していた。彼らの神学では、ユダヤ人はアブラハムの子孫であるという理由だけで、天の御国(みくに)に入れるとされていた。イエスのことばは、その教えに対する反論である。(1)イエスは、パリサイ派の神学を否定された。つまり、人はアブラハムの子孫だからという理由で、天の御国に入るのではないということである。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか」という問いかけは、血縁関係が救いの条件ではないことを教えている。(2)人は霊的新生によって神の家族の一員となる(ヨハ3 章のニコデモとの会話を参照)。これがイエスの教えである。
旧約聖書のホセア13 章を見ると、イスラエルの民は「ロ・アミ」と呼ばれているが、これは、「わたしの民ではない」という意味である。イスラエルの民は本来、神の民(アミ)であるが、不信仰のゆえにロ・アミ(わたしの民ではない)と呼ばれるようになった。しかし、その彼らも悔い改めるなら、再び「アミ」と呼ばれるようになる。血縁関係ではなく、霊的な関係こそ重要である。
新約聖書では、パウロがこのホセアの預言を異邦人の救いに適用している(ロマ92526)。本来は神の民でなかった私たち異邦人も、信仰によって「アミ(わが民)」と呼ばれるようになった。私たちには、天国に入れるという確信はあるだろうか。もしあるとしたら、それは信仰に基づく確信なのか、それとも希望的観測なのか。神が用意された方法によらなければ、だれも天国に入ることはできない。神が用意された唯一の方法は、イエスを救い主として受け入れることである。

 

                       きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。信仰によって、私は神の家族の一員とされました。その恵みを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより