進化論 359

 

                   マタイの福音書918

 

1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。

 

2 すると、人々が中風の人を(とこ)に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風(ちゅうぶ)の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は(ゆる)された」と言われた。

 

3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。

 

4 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。

 

5 『 あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 

6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

 

7 すると、彼は起きて家に帰った。

 

8 群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。

 

罪を赦す権威

 

          メシア運動の観察段階

 

1)カペナウムはエルサレムから遠く離れた町であるが、そこに各地から律法学者たちが集まって来た(ルカ51726 も参照)。イエスがメシアであるかどうかを確かめるためであった。イエスがメシアにしかできない癒し(レプラ患者の癒し)を行われたので、律法の専門家たちが、イエスを観察するために来たのである。(2)これは、メシア運動の正当性を判断するための第一段階(観察の段階)であった。バプテスマのヨハネのもとには、代表団だけが派遣(はけん)されたが、ここでは律法の専門家たちが大挙して押し寄せてきた。これによって、第一段階が最終的な局面を迎えていたことが分かる。(3)イエスは彼らの意図を察知(さっち)し、ご自分がメシアであることを証明するために行動を起こされた。

 

 

           イエスの業

 

1)ひとりの病人(中風の人)がイエスの元に運ばれて来たが、戸口には律法の専門家たちが立ちはだかっていた。そこで4 人の友人たちは、屋根をはがして、中風の人をイエスの前につり降ろした(ルカ51819)。(2)イエスは、彼らの信仰を見て、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と宣言された。病の癒しの前に、罪の赦しが宣言されたのである。(3)律法の専門家たちは、この宣言を神への冒涜(ぼうとく)だと判断した。もしイエスが単なる人間であるなら、これは神への冒涜である。しかし、もしイエスが受肉したメシアであるなら、その宣言は有効である。(4)「観察の段階」では、質問は禁じられていたので、彼らは「心の中で」論じた。彼らの理屈(りくつ)を見抜いたイエスは、こうお語りになった。「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか」。人間の目から見ると、罪の宣言をする方がやさしい。病の癒しの宣言は、結果が要求されるので、より難しい(神の目から見ると、全く逆の判断が成り立つ)。(5)そこでイエスは、人間の目から見てより困難なこと(からだの癒し)を行うことによって、よりやさしいこと(罪の赦しの宣言)が有効であることをお示しになった。(6)中風の人は、ただちに床をたたんで、神をあがめながら家に帰った。イエスは(みずか)らを「人の子」と呼ばれたが、それはイエスのメシア宣言であった。これ以降、メシア運動は「観察の段階」から「審問(しんもん)の段階」に入る。
主イエスを信じた人は、すでに罪赦されている。赦しの確信は、私たちの肉体と魂を(すこ)やかにする力となる。キリストにあって全人的な平安をいただこう。

 

 

 

                       きょうの祈り

 

天の父よ。主イエスは私の救い主、メシアです。主イエスを信じる信仰によって、罪が赦されていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより