進化論は嘘 338

 

                   マタイの福音書614

 

1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

 

2 だから、(ほどこ)しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者(ぎぜんしゃ)たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

 

3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。

 

4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 

 

 

律法の義の実践

 

            基本原則

 

この箇所でイエスは、今まで論じてきた「律法の義」を実践するとどうなるかを教えておられる。1 節は、導入(イントロダクション)であり、結論でもある。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません」1 節)。これは、パリサイ人の偽善に対する警句(けいく)でもある。2 節以降の説明は、1 節に記された基本原則の実際的な適用例である。
基本原則は、次のように要約される。(1)「律法の義(善行)は、人に見せるために行うものではない」。ここでは、善行を行う場合の動機が問われている。(2)「もし人の歓心を買うために善行を行うなら、人からの報いは得られるだろうが、神からの報いは来ない」。イエスの弟子である私たちは、善行の中にさえ偽善が巧妙(こうみょう)に入り込んで来ることに注意しなければならない。
人からの称賛を求めるのであれば、もはや神から報いを受けることはできない。神は常に、行動の背後にある動機を見ておられる。神に喜ばれることだけを願って行動する者は、幸いである。

 

 

           施しについて

 

善行の具体例として、「施し」が上げられる。施しを行う場合の正しい態度は、人が見ていないところでそれを行うことである。また自分でも、「善行をしているのだ」という意識を捨て去ることである。そうすれば、「隠れた所で見ておられる父」が、報いてくださる。
当時、パリサイ人たちは、これと正反対のことをしていた。神殿内(婦人の庭)には、13 の献金箱が置かれていた。多額の献金をする場合、彼らはラッパを吹かせて献金箱に歩み寄り、群衆が注目する中で、これ見よがしに献金を投げ込んだ。このようにして、彼らは人からの称賛を受けたのであるが、称賛はそれで終わりである。神からの称賛と報いは、彼らのものにはならなかった。
今も、ラッパを吹いて善行を行うような人がいる。人の心は邪悪(じゃあく)(あざむ)きに満ちている。神は私たちの行為だけでなく、その背後にある動機まで見ておられる。神は聖であるので、私たちにも聖であることを要求される。神の目をごまかすことはできない。今、自分の行為が神に喜ばれるものになっているかどうか、自己吟味(ぎんみ)をしようではないか。

 

                       

                       きょうの祈り

 

天の父なる神さま。どうか私が、ラッパを吹くような行為をすることのないように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより