進化論は嘘 329

 

                 マタイの福音書536

 

3 「 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

 

4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

 

5 柔和(にゅうわ)な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

 

6 義に飢え(かわ)く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

 

 

 

幸いな人とは(前半)

 

         神の目から見た「幸い」

 

「幸いです」という祝福の宣言は、詩篇1 篇、32 篇、41 篇などにも登場する。ここで言う「幸い」とは、この世の基準によるものではなく、神の目から見た「幸い」である。前回書いたように、山上の垂訓はメシアによる「モーセの律法」の解説であり、「神の国に入るための義」の解説である。イエスをメシアとして受け入れた者は、その義を手に入れたのである。イエスは8 つの「幸いです」という宣言によって、「神の義」を手に入れた人たちの特徴を上げている。前半(36 節)は、神との関係における信者の特徴である。後半(712 節)は、人との関係における信者の特徴である。今回は、前半部分を見てみよう。

 

 

         前半の4 つの特徴

 

1)「心の貧しい者」とは、心が(いや)しいとか、心が(せま)いとかいった意味ではない。心が貧しいとは、プライド(傲慢(ごうまん))とは対極にある性質である。心の貧しい人は、自らの霊的な貧しさを知り、「自分の義」ではなく「神の義」により頼んでいる(ルカ18914 参照)。神の支配と臨在は、そのような人とともにある。
2「悲しむ者」とは、この文脈では、罪に対して敏感(びんかん)な性質のことである。つまり、自分の罪やこの世の悪を(なげ)き悲しむ人のことである(詩119136)。そういう人は、直ちに罪を告白して赦しを受け取る。また、この地上で罪の赦しを体験するばかりか、将来実現する神の国においては、神の義の完全な実現を見て慰められる。
3「柔和な者」とは、弱い人のことではなく、穏やかな性質の中に神への()るぎなき信頼を持っている人のことである。そういう人は、自己主張や自己弁護から解放されているので、人と言い争う必要がなくなっている。最高のお手本は、黙って十字架に向かわれた主イエスである。柔和な者は、神から多くのものを委ねられ、それを生かす人生を歩むようになる。
4「義に飢え渇いている者」とは、この文脈では、モーセの律法によって示された「神の義」に従うことを、ひたすら求めている人のことである。つまり、常に神との関係を第一にしているということである。そういう人は、肉体的な満たしだけでなく、精神的、霊的満たしを体験するようになる。
以上の4 つの特徴は、信仰による義を獲得(かくとく)した人に当てはまるものである。肉の努力では平安は生まれてこない。ここでのキーワードは、「信仰による神の義」である。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより