進化論は嘘 312

 

                  マタイの福音書11825

 

18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

 

19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

 

20 彼がこのことを思い(めぐ)らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その(たい)に宿っているものは聖霊によるのです。

 

21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

 

22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

 

23 「 見よ、処女(しょじょ)がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」( 訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

 

24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、

 

25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

 

 

 

メシアの誕生物語

 

           ヨセフの苦悶

 

マタイは、ヨセフの側から見た「メシアの誕生物語」を記録している(ルカは、マリアの側から見た物語を記録している)。(118 節には、「ふたりがまだいっしょにならないうちに」とある。ユダヤ人の習慣では、婚約した者は、1 年程度の婚約期間を経て実際の結婚生活に入ることになっていた。「ふたりがまだいっしょにならないうちに」とは、この婚約期間のことである。つまり、実際の結婚生活が始まる前に、マリアが妊娠(にんしん)したのである。(2)ヨセフには、二つの選択肢があった。 モーセの律法の規定(申222327)に従ってマリヤを法廷でさらし者にするか、 ふたりの証人の前で離婚(りこん)状を与えて内密に去らせるか、そのいずれかである。ヨセフにとっては苦渋(くじゅう)の選択である。(3)しかし、ヨセフの窮状(きゅうじょう)を救うために天使が現れ、マリアが聖霊によって身ごもっていることを伝えた。23 節には、「見よ、乙女(処女)がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)」とある。これは、イザヤ714 の引用である。当時のユダヤ人の間では、この預言の中にある「乙女」とは「処女」であるとの理解があった。(425 節に、「子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく」とあるが、これもまた、メシアの処女降誕(こうたん)を示すための言葉である。イエスの誕生後は、ヨセフとマリアは通常の結婚関係に入り、マリアは少なくとも6 人の子を産んだ(4 人は息子で、2 人は娘。マルコ63 参照)。

 

 

           ヨセフの信仰

 

1)ヨセフはマリアの証言と、天使の御告げを信じた。(2)ヨセフはマリアとの結婚の約束を果たした。(3)そして、これらすべてが神の計画通りに進んだ。ヨセフは、誕生した子に「イエス」という名をつけた。イエスとは、「主は救う」という意味である。イエスは、「インマヌエル」という名で呼ばれたわけではないが、その人格と行いを通して「神は私たちとともにおられる」という事実を示された。旧約時代に幕屋(神殿)の中に宿った神の栄光は、新約時代になって神の御子イエスのうちに宿った。マタイの福音書は、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(2820)という約束で終わる。この約束を信じるなら、自分の人生に起こることはすべて「神の計画通り」と受け止めることができる。今、ヨセフの信仰に(なら)おうではないか。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより