進化論は嘘 285

 

                       創世記47712

 

7 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。

 

8 パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、(いく)つになりますか。」

 

9 ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の(よわい)の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には(およ)びません。」

 

10 ヤコブはパロにあいさつして、パロの前を立ち去った。

 

11 ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。

 

12 またヨセフは父や兄弟たちや父の全家族、幼い子どもに(いた)るまで、食物を与えて養った。

 

 

 

パロの前に立つヤコブ

 

           父ヤコブを紹介

 

ヨセフは、すべてが決着してから父をパロに紹介した。(1「ヤコブはパロにあいさつした(祝福した)」とあるが、これは、ヤコブがパロを祝福したということである。ここには、地上の権威と神の国の権威の対比がある。この世的にはパロが上位にいるが、神の国の視点からはヤコブのほうが上位にいるのである。上位の者が下位の者を祝福するのであって、その逆はない。(2)パロは、「あなたの年は、幾つになりますか」と質問した。当時のエジプトでは、長寿(ちょうじゅ)(めずら)かったと言われている。ヤコブは、エジプトでは見かけないような高齢者の風貌(ふうぼう)をしていたのであろう。(3)ヤコブは、「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません」と答えた。この答えから、教訓を学ぼう。

 

 

          私たちへの教訓

 

1)「わたしの旅路の年月は百三十年です」(新共同訳)。「旅路」という言葉は、寄留者としての自己認識を表している。(2)次の言葉は、新改訳では「私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません」と訳されているが、「ふしあわせで」という訳語がひっかかる。新共同訳では「わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く」と訳されている。「ふしあわせ」と「苦しみ多く」とは、意味が異なる。苦しみが多くても、必ずしも「ふしあわせ」とは限らないからである。確かにヤコブは、数々の試練を通過した。兄エサウや伯父のラバンとの葛藤(かっとう)、愛妻を若くして亡くした悲劇、ヨセフの死、ベニヤミンを手放す決心、などなど。(3)しかし、永遠の視点から見るなら、130 年はわずかな年月である。つまり、苦しみもまた、わずかな年月しか続かないということである。使徒パウロは、こう書いている。「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」(ロマ818)。(4)ヤコブは去る時もまた、パロを祝福した。「ヤコブはパロにあいさつして(祝福して)、パロの前を立ち去った」
洞察力の結果、彼らはラメセスの地を所有するようになった。そこは、ゴシェンの地の中でも最良の場所であった。「ヨセフは、パロの命じたとおりに、・・・エジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた」。その地で、ヨセフは全家族を養った。ここに、ヨセフの優しさがある。必要な洞察力が与えられるように、主に祈り求めようではないか。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより