進化論は嘘 263

 

                    創世記411436

 

14 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。

 

15 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」

 

16 ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」

 

17 それでパロはヨセフに話した。「夢の中で、私はナイルの岸に立っていた。

 

18 見ると、ナイルから、肉づきが良くて、つやつやした七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。

 

19 すると、そのあとから、弱々しい、非常に醜い、やせ細ったほかの七頭の雌牛が上がって来た。私はこのように醜いのをエジプト全土でまだ見たことがない。

 

20 そして、このやせた醜い雌牛が、先の肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。

 

21 ところが、彼らを腹に入れても、腹に入ったのがわからないほどその姿は初めと同じように醜かった。そのとき、私は目がさめた。

 

22 ついで、夢の中で私は見た。見ると、一本の茎によく実った七つの穂が出て来た。

 

23 すると、そのあとから東風に焼けた、しなびた貧弱な七つの穂が出て来た。

 

24 そのしなびた穂が、あの七つの良い穂をのみこんでしまった。そこで私は呪法師に話したが、だれも私に説明できる者はいなかった。」

 

25 ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。

 

26 七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。

 

27 そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。

 

28 これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。

 

29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。

 

30 それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、

 

31 この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。

 

32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。

 

33 それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。

 

34 パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。

 

35 彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。

 

36 その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」

 

 

 

パロの夢を解き明かすヨセフ

 

        自分の夢を説明するパロ

 

 ヨセフは、ひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た(エジプト人の習慣に従うため)。この場面は、王対奴隷の対面ではなく、真の神を知らない者と知る者の対面である。ちなみに、神が異邦人の王に未来の出来事を啓示されるという出来事は、ダニエル書にも出て来る(ネブカデネザルの例)。(1)ヨセフは神に栄光を帰している。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです」「パロの繁栄」とは、パロが夢の解き明かしによって満足するということである。(2)そこでパロは、自分の夢をヨセフに説明した。21 節は、最初の説明(17 節)にはなかった新しい情報である。「ところが、彼ら(肥えた牛)を腹に入れても、腹に入ったのがわからないほどその姿(やせ細った牛)は初めと同じように醜かった」。この意味の解き明かしは、31 節でなされる。

 

 

       ヨセフによる夢の解き明かし

 

 ヨセフは、2 つの夢は同じことを表していると解説した。(1)エジプト全土に7 年の大豊作がやって来る。(2)その後、7 年のききんが襲う。このききんはあまりにも激しいので、先の豊作の(あと)も分からなくなる。(3)夢が2 度くり返されたのは、このことが神によって定められ、神がこれをすみやかになさるからである。
 エジプトの農業は、ナイル川の水に頼っていた。オシリス(雄牛の姿)はナイルの守り神であり、イッシス(雌牛の姿)は豊穣(ほうじょう)の神である。このききんによって、エジプトの2 つの偶像神が辱められる。しかし、ここに出て来るききんは、神の裁きそのものではなく、人生の営みの中でやって来る試練の1 つである。神の裁きが語られた時は、悔い改めが唯一の解決策である。一方、試練が預言された時は、それに対する適切な準備が必要になる。ヨセフは、適切な準備をするようにパロに提案した。「さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの宰相(さいしょう)(首相)に任命するように」。「また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように」(新共同訳)。この提案の内容は、間接的な自己推薦(じこすいせん)である。なんというヨセフの知恵であろうか。「さとくて知恵のある人」は、ヨセフ以外にいない。
 人生どんなに祝されていても、必ず「七年のききん」(試練)がやって来る。私たちには、将来に対する備えができているだろうか。それには、死への備えも含まれていなければならない。

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより