進化論は嘘 256

 

                     創世記392123

 

21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを(ほどこ)し、監獄の長の心にかなうようにされた。

 

22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

 

23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉(かんしょう)しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。

 

 

 

獄中のヨセフ

 

         アブラハム契約の祝福

 

ヨセフは投獄されたが、獄中でもポティファルの家で起こったのと同じことが起こった。「【主】がヨセフとともにおられた」という表現が出て来る。さらに、「【主】(ヤハウェ)」という言葉が、21 節と23 節(2 回)に出て来る。
1)ヨセフは監獄の長の信頼を得た。これは、ポティファルの家で起こったのと同じである。その結果、ヨセフはすべての囚人の世話を委ねられた。(2)この時のヨセフの状態を、詩篇1051819 は次のように描写(びょうしゃ)している。「彼らは足かせで、ヨセフの足を(なや)まし、ヨセフは鉄のかせの中に入った。彼のことばがそのとおりになる時まで、【主】のことばは彼をためした」。獄中でヨセフの信仰が試され、その過程で忍耐心が育てられた。(3)ヨセフを支えたものは、二つの夢と、【主】がともにおられるという確信であった。私たちに、そのような夢と確信があるだろうか。もし無いなら、神に願い求めよう。

 

       キリストの型としてのヨセフ

 

ヨセフとキリストの間には、類似点が多くある。(1)イエス・キリストは、ローマ帝国に支配されていたユダヤに来られ、しもべとしての生涯(しょうがい)を歩まれた。そして、神はこの方とともにおられた(マタ123 参照)。イエスは、ローマ総督(そうとく)ピラトの前でこう言われた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません」(ヨハ1836)。(2)イエスはサタンの誘惑にあわれた。荒野での誘惑は、メシアとして受ける誘惑であった。もしその誘惑に乗るなら、神の計画は破壊される。サタンは、公生涯の間、何度もしつこくイエスに迫った。(3)イエスもまた、不当に非難された。まさに、イザヤ5346 の預言にあるとおりである。
ヨセフに起こったことは、キリストにも起こる。そして、キリストに起こったことは、私たちにも起こる。つまり、ヨセフに起こったことは、私たちにも起こるということである。ヨセフの物語は、遠い昔の話ではなく、今を生きている私たちの物語である。試練にあったとき、次のことを思い起こそう。今の試練は、次に来ようとしている大きな祝福の序曲(じょきょく)である。それゆえ、弱り果てるのではなく、忍耐を学ぼう。ヨセフが私たちの手本である。主イエスが、私たちの教師である。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより