進化論は嘘 239

 

                     創世記351620

 

16 彼らがベテルを旅立って、エフラテまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛(じんつう)で苦しんだ。

 

17 彼女がひどい陣痛で苦しんでいるとき、助産婦(じょさんぷ)は彼女に、「心配なさるな。今度も男のお子さんです」と告げた。

 

18 彼女が死に(のぞ)み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。

 

19 こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。

 

20 ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に(いた)っている。

 

 

 

ベニヤミンの誕生とラケルの死

 

          エフラテへの途上

 

人生には、祝福と試練が同時にやって来る時がある。きょうの箇所でヤコブは、ベテルを旅立ち、ヘブロンにいる父イサクに会うために、カナンの地の中央高原を南下している。その街道は「族長たちの道」と呼ばれた幹線(かんせん)道路である。(1)エフラテへの途上(とじょう)、ラケルは産気づき、ひどい陣痛で苦しんだ。エフラテは、ベツレヘムの近辺にある場所だとされているが、実際は、エルサレムの北に位置している。(2)今日の「ラケルの墓」は、エルサレムとベツレヘムを結ぶ街道沿いにあるが、これは聖書の記述とは合致(がっち)しない。ラケルの墓の場所は、1 サムエル102 では、「ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓」となっている。これに従えば、エルサレムより北にこの墓があったことになる。(3)この時ラケルは、男児を出産した。これは、創世記3024 の成就である(彼女は、もう1人の子が生まれることを期待した)。

 

 

           赤子の命名

 

陣痛で苦しむラケルを見て、助産婦は「心配なさるな。今度も男のお子さんです」と励ましたが、なんの効果もなかった。(1)かつて、子が与えられなければ死ぬと言ったラケルが、子が誕生する時に死んだのは皮肉なことである。ラケルは死ぬ直前に、その子を「ベン・オニ」(私の苦しみの子)と命名した。(2)その子の将来のことを考えると、「ベン・オニ」という名は決して(この)ましいものではない。そこでヤコブは、その子の名を「ベニヤミン」(私の右手の子)に改名した。「右の手」は、力、権威、名誉(めいよ)の象徴である。(3)ヤコブはラケルをそこに埋葬し、彼女の墓の上に石の柱を立てた。「今日に至っている」という意味は、モーセがこれを書いた時には、その墓がまだ残っていたということである(1 サム102によれば、サムエルの時代にも墓はあったようである)。

 

ヤコブに、悲しみ(ラケルの死)と喜び(ベニヤミンの誕生)が同時にやって来た。ヤコブは、「ベン・オニ」という名を「ベニヤミン」に改名した。彼は、悲しみに(しば)られることを拒否(きょひ)し、その子に積極的な名を付けたのである。考えてみれば、約束の地カナンで生まれたのはこの子が最初である。この子は、新しい希望に向かって歩み出す象徴ともなり得る子なのだ。私たちにも悲しい出来事が必ずやって来る。そのとき、ヤコブが信仰によってその子の名を「ベニヤミン」に改名したことを思い出そう。悲劇的な出来事の中に希望の光を見いだす人は幸いである。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより