進化論は嘘 221

 

                      創世記31116

 

 

1 さてヤコブはラバンの息子たちが、「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の物でこのすべての富をものにしたのだ」と言っているのを聞いた。

 

2 ヤコブもまた、彼に対するラバンの態度が、以前のようではないのに気づいた。

 

3 【 主】はヤコブに仰せられた。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」

 

4 そこでヤコブは使いをやって、ラケルとレアを自分の群れのいる野に呼び寄せ、

 

5 彼女たちに言った。「私はあなたがたの父の態度が以前のようではないのに気がついている。しかし私の父の神は私とともにおられるのだ。

 

6 あなたがたが知っているように、私はあなたがたの父に、力を尽くして仕えた。

 

7 それなのに、あなたがたの父は、私を欺き、私の報酬を幾度も変えた。しかし神は、彼が私に害を加えるようにされなかった。

 

8 彼が、『ぶち毛のものはあなたの報酬になる』と言えば、すべての群れがぶち毛のものを産んだ。また、『しま毛のものはあなたの報酬になる』と言えば、すべての群れが、しま毛のものを産んだ。

 

9 こうして神が、あなたがたの父の家畜を取り上げて、私に下さったのだ。

 

10 群れにさかりがついたとき、私が夢の中で目を上げて見ると、群れにかかっている雄やぎは、しま毛のもの、ぶち毛のもの、また、まだら毛のものであった。

 

11 そして神の使いが夢の中で私に言われた。『ヤコブよ。』私は『はい』と答えた。

 

12 すると御使(みつかい)は言われた。『目を上げて見よ。群れにかかっている雄やぎはみな、しま毛のもの、ぶち毛のもの、まだら毛のものである。ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。

 

13 わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願(せいがん)を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。』」

 

14 ラケルとレアは答えて言った。「私たちの父の家に、相続財産で私たちの受けるべき分がまだあるのでしょうか。

 

15 私たちは父に、よそ者と見なされているのではないでしょうか。彼は私たちを売り、私たちの代金を食いつぶしたのですから。

 

16 また神が私たちの父から取り上げた富は、すべて私たちのもの、また子どもたちのものですから。さあ、神があなたにお告げになったすべてのことをしてください。」

 

 

 

決断の時

 

            関係の悪化

 

 

そうこうするうちに、ラバンの息子たちとの関係が悪化してきた。その背景には、以下のような事情がある。・ 古代のヌジ文書によれば、息子がない場合は、義理の息子が相続人となる。・ ラバンには息子たちが生まれたので、今や彼らがラバンの相続人である。・ それゆえ彼らは、ヤコブの財産が増えることに危機感を覚えたのである。彼らは、ヤコブが父の物をみな(うば)ったように言いふらしたが、これは(うそ)である。
さらに、ラバンとの関係も悪化してきた。ラバンも、ヤコブの財産が増えることに不快感を覚えたのである。

 

 

           神からの語りかけ

 

 

「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる」。(1)これは、ヤコブに対する2 回目の顕現(けんげん)である(ベテルでの顕現から、20 年が経過していた)。そこでヤコブは、2 人の妻を野に呼び寄せ、自らの心の内を明かした。(2)ヤコブは、夢の中の光景を妻たちに説明した。「群れにかかっている雄やぎは、しま毛のもの、ぶち毛のもの、また、まだら毛のものであった」。つまり、ヤコブの群れが殖えたのは、神が介入してくださったからなのだ。(3)さらに、神からの語りかけがあった。御使いは、「ヤコブよ、目を上げて見よ。群れにかかっている雄やぎはみな、しま毛のもの、ぶち毛のもの、まだら毛のものである。ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た」と言われた。神が、ヤコブの群れを殖やしてくださったのだ。(4)さらに御使いは語られた。「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい」。(5)妻たちもまた、父ラバンへの不満を持っていた。自分たちは商品扱いされた、花嫁料の分け前をもらうことができなかった、というのが彼女たちの不満である。妻たちの同意を得たヤコブは、ラバンの家を出る決心を固めた。
一連の物語を通して学ぶのは、神が摂理(せつり)を通して、ヤコブを正当に扱っておられるということである。神は、すべてを見ておられる。私たちは、被害を受けたときに復讐心(ふくしゅうしん)に燃えるものである。しかし聖書は、復讐してはならないと教えている。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の(いか)りに(まか)せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが(むく)いをする』、と主は言われる」(ロマ1219)。この聖句を黙想しようではないか。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ  Clayより