進化論は嘘 194

 

                     創世記261822

 

 

18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に()ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた。

 

19 イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに()き水の出る井戸を見つけた。

 

20 ところが、ゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセクと呼んだ。それは彼らがイサクと争ったからである。

 

21 しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナと呼んだ。

 

22 イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、【主】は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」

 

 

 

平和の人イサク

 

            新しい井戸

 

 

「イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた」。(1)ゲラルを去ったイサクは、新しい地で井戸を掘った。(2)アブラハムが掘った井戸は複数あったが、それらの井戸は、アブラハムの死後、ペリシテ人によってふさがれていた(土で埋め戻されていた)。これは、新参者に対するペリシテ人の敵対心の表現である。(3)しかしイサクは、どこに井戸があったかをすべて覚えており、再びそこを掘ったのである。

 

 

            3 つの井戸

 

 

イサクが掘った井戸は、3 つあった。(1)最初の井戸は、ワジ(水なし川)で掘った。その井戸から水が出た時、妨害(ぼうがい)が入った。「ゲラルの羊飼いたちは、『この水はわれわれのものだ』と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセクと呼んだ。それは彼らがイサクと争ったからである」。イサクはその井戸を「エセク」と名づけた。その意味は、「争う」である。(2)次の井戸を掘り当てた時も、ゲラルの羊飼いたちが争いを起こした。そこでイサクは、その井戸を「シテナ(シトナ)」と名づけた。「敵意」という意味である。ちなみに、「シテナ(シトナ)」とは「サタン」(ヨブ16)と同じ語源の言葉である。(3)イサクは別の地に移り、そこに3 番目の井戸を掘った。その井戸については、争いは起こらなかった。それでイサクはその井戸に、「レホボテ」という名を与えた。「レホボテ」とは、「部屋」、「広い場所」の複数形である。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった」。この言葉の中に、イサクの平和主義の理由が込められているように思う。

 

イサクは、ゲラルの町を追い出され、谷間(ワジ)で住むようになったが、争うことはしなかった。井戸を掘り当てた時も、2 度にわたって理不尽(りふじん)な妨害を経験したが、争わずに次の井戸に向かった。第3 の井戸を掘り当てた時、もはや争いは生じなかった。イサクには、人がどれだけ道をふさいでも、神が必ず別の道を用意してくださるという確信があった。井戸の水は、神の恵みの象徴(しょうちょう)である。私たちは、争いの多い時代に生きている。相手と同じように声高に(さけ)ぶなら、事態はますます収拾(しゅうしゅう)がつかなくなる。イサクの平和主義から教訓を学ぼうではないか。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ  Clayより