進化論は嘘 188

 

                     創世記252728

 

27 この子どもたちが成長したとき、エサウは(たく)みな猟師(りょうし) 、野の人となり、ヤコブは(おだ)やかな人となり、天幕に住んでいた。

 

28 イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。

 

 

ふたごの成長

 

            エサウ

 

「この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた」。(1)エサウについて「巧みな猟師」という言葉が使われているが、創世記の文脈では、この言葉は否定的な意味を持っている(ニムロデの場合を参照。創10812)。(2)エサウは「野の人」となり、家族の(きずな)の外で生きることを選んだ。つまり彼は、家族への忠誠も家族との契約も捨てたということである(3)エサウに対する神の評価は、否定的である。マラキ123 にはこうある。「『わたしはあなたがたを愛している』と主は仰せられる。あなたがたは言う。『どのように、あなたが私たちを愛されたのですか』と。『エサウはヤコブの兄ではなかったか。主の御告げわたしはヤコブを愛した。わたしはエサウを憎み、・・・』」。「エサウを憎み」とは、エサウを選ばなかったという意味である。

 

 

            ヤコブ

 

1)ヤコブは「穏やかな人」になった。ヘブル語では「タム」という言葉である。この言葉は、ヨブに関して(ヨブ18223)、ノアに関して(創69)、神と人に関して(詩1825)用いられているもので、「完全」や「正しい」などの意味がある。(2)ところが、同じ「タム」という言葉が、ヤコブの場合は「穏やかな人」と訳されている。つまり、ヤコブに関する誤解が先にあり、それに合うような形で訳語が選ばれているのである。(3)「タム」が意味するのは、罪がないという意味での「完全」ではなく、神に対する姿勢が正しいという意味での「義人」である。(4)「天幕に住んでいた」の意味も再考する必要がある。それは、「母親っ子」という意味ではない。ヤコブは、家族という絆の中で責任を果たして生きることを選んだのである。つまり、羊飼いという家業を継いだのである。羊飼いは、決して女性的な仕事ではない。後に展開されるエピソードによって、羊飼いの労働の厳しさが明らかになる。
この一家の中では、両親の偏愛が大問題であった。イサクはエサウを愛した。その理由は、猟の獲物を好んでいたからである。驚くべきことであるが、イサクは神の選びを無視したのである。それに対して、リベカはヤコブを愛した。神もまた、ヤコブを愛しておられた(マラ123 参照)。ヤコブに関する誤解と偏見を解こうではないか。私たちに関しては、神との関係を正し、神の御心の道を歩むことを志そう。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより