進化論は嘘 187

 

                     創世記252426

 

24 出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。

 

25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。

 

26 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。

 

 

 

ふたごの誕生

 

            兄の誕生

 

「出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた」。(1「赤くて」は、ヘブル語で「アドモニ」である。ここから、「エドム」という言葉が出てきた。(2)「アドモニ」は、ここ以外ではダビデに関してのみ出てくる言葉である。1 サムエル1612 では、その言葉は「血色の良い」と訳されている。1 サムエル1742では、「紅顔の」という訳になっている。(3)エサウとは、「毛深い」という意味である。個人名のエサウは、毛深いという肉体的特徴からつけられた名であり、民族名のエドムは、毛の色が赤かったところからつけられた名である。混乱しないように注意しよう。エサウの子孫たちはエドムと呼ばれ、先祖の性質を継承する民となった。

 

 

            弟の誕生

 

「そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた」。(1)弟は兄のかかとをつかんで出て来た。「かかと」は、ヘブル語で「アケブ」である。「ヤコブ」と「かかと(アケブ)」は、同じ語根から出た言葉である。(2)「ヤコブ」の第一義的な意味は、「かかとをつかむ者」で、第二義的な意味は、「追い出す者」である。(3)ヤコブという言葉は中立の言葉であり、そこには否定的なニュアンスは含まれていない。それが肯定的な意味になるか、否定的な意味になるかは、文脈によって決まる。(4)否定的な意味で使われている例としては、創世記2736、ホセア123、エレミヤ94 などがある。
キリスト教の伝統では、ヤコブを狡猾(こうかつ)な人物として批判(ひはん)するのが一般的である。しかし聖書は、そのようにはヤコブを糾弾(きゅうだん)していない。むしろ、ヤコブを信仰の偉人として描いている。ユダヤ人たちも、先祖のヤコブを尊敬している。私たちもまた、ヤコブについての評価を再吟味する必要がある。創世記3228 には次のようにある。「その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ』」。神は、ヤコブが神の祝福を求めて熱心に祈り続けたことを高く評価された。私たちの祈りはどうか。神の祝福を求めて、忍耐深く、熱心に祈り続ける人は、ヤコブの信仰に(なら)っている人である。

 

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより