忠実なしもべ
真剣な姿
ラバンのもてなしが始まった。①らくだのため、②従者たちのため、そして、③しもべ(エリエゼル)のためのもてなしである。しもべの目の前に、中東の豪華な食事が用意された。しかし、食事を始める前に、しもべは来訪の目的を述べた。それは、食事よりもさらに重要なことがあったからである。目的が達成されない状態では、食事は喉を通らない。
ここでエリエゼルは、事の経緯をすべて語っている。読者にとっては、すでに読んだことのくり返しなので、飛ばし読みをしたくなるところであるが、そうではない。聖書に無駄はないのだから、しっかり読む必要がある。また、ラバン一家にとっては、これは初めて聞く話なのである。エリエゼルは、自らの使命の重要性を伝えるために、また、リベカがカナンの地に行くことがいかに重要であるかを伝えるために、熱心に、真剣に語った。この熱心で真剣な姿勢が、相手を動かすのである。
説得力のあることば
エリエゼルは、自己紹介から始めた。この自己紹介は、主人アブラハムとその息子イサクの紹介にもなっている。(1)「私はアブラハムのしもべです」という自己認識が非常に大切である。彼は、イサクの誕生を妬まなかった忠実なしもべ、主人の祝福だけを願うしもべである。使徒パウロもまた、同じような自己認識を持っていた。彼は自分のことを、「キリスト・イエスのしもべ」、「イエスのために、あなたがたに仕えるしもべ」と呼んでいる。(2)次にエリエゼルは、アブラハムが【主】から受けている祝福を列挙している。①
羊、② 牛、③ 銀、④ 金、⑤男女の奴隷、⑥らくだ、⑦ろばがそれである。(3)さらに彼は、イサクの紹介をしている。「私の主人の妻サラは、年をとってから、ひとりの男の子を主人に産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます」。サラは、90
歳になってからイサクを産んだ。イサクは、全財産の相続人である。相続人は、ダマスコのエリエゼルでも、イシュマエルでもない。
私たちの内に、エリエゼルのような熱心さ、真剣さ、忠実さはあるだろうか。もう一度、自己吟味をしてみよう。私たちは「キリストのしもべ」であると同時に、「キリストとの共同相続人」である。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」(ロマ8:17)
ハーベストタイムミニストリーズ Clayより