進化論は嘘 173

 

                      創世記231920

 

19 こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら(あな)(ほうむ)った。

 

20 こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地(ぼち)として彼の所有となった。

 

 

 

サラの埋葬

 

           約束の地の所有

 

アブラハムは、マクペラにあるエフロンの畑地と、その畑地にあるほら穴を買った。そしてそのほら穴に、自分の妻サラを葬った。アブラハムには「約束の地」が約束されていたが、これまでに彼が所有したのはベエル・シェバの井戸だけであった。しかし、ここでの売買契約を通して、マクペラの畑地が彼のものとなった。
なぜアブラハムは、マクペラで墓地を買い、そこにサラを葬ることに固執(こしつ)したのであろうか。いくつかの理由が考えられる。(1)創世記222024 では、ハランに住む家族の情報が彼の耳に届いていた。その地(ハラン)は、アブラハムが75 歳の時に出た地であった(創124)。そして、そこには家族の墓地があった。もしアブラハムがそれを希望するなら、サラをそこに葬ることは可能であった。(2)しかし、アブラハムはサラをマクペラの墓地に葬った。その行為は、アブラハムの視点からすると、故郷であるハランを放棄(ほうき)したことを意味する。(3)アブラハムは、故郷との(きずな)を断ち切り、自分と子孫の将来はカナンの地にしかないことを認めたのである。

 

 

           私たちへの教訓

 

私たちは、イエスをメシアと信じ、クリスチャン生活を始めた。それは、自分が天の御国(みくに)に向かう旅人であることを認めたことである。しかし、一度確認した方向性ではあっても、それを再吟味(さいぎんみ)せねばならない時がやってくる。自分の究極的な故郷はどこにあるのかと、自問自答する時がやってくる。ヨハネ21 章には、イエスの弟子たちでさえも漁師に戻ろうとした瞬間(しゅんかん)があったことが記されている。しかし、彼らは湖岸で復活のイエスと食事をともにし、再献身の思いを新たにした。アブラハムの場合は、サラを約束の地に葬ることによって、信仰には「一方通行しかない」ことを確認したのである。
ヘブル11810は、アブラハムの信仰についてこう記している。「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、(かた)基礎(きそ)の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です」。私たちもまた、人生の方向性を再確認し、確認したことを行動に移そうではないか。私たちの国籍は、天にある。神が設計し建設された都に向かおう。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより