進化論は嘘 167

 

                                   創世記221114

 

 

11 そのとき、【主】の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

 

12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ()しまないでわたしにささげた。」

 

13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊(おひつじ)がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

 

14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「【主】の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

 

 

 

【主】の備え

 

                      神の介入

 

イサクを殺そうとするアブラハムに、新しい命令が与えられた。(1「アブラハム。アブラハム」。神が彼の名を2 度呼んでいるのは、強調のためである。(2「はい。ここにおります」。ヘブル語で「ヒネイニ」である。これもまた、強調の意味を含む言葉である。アブラハムは、全身全霊をこめて神に応答している。(3「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった」。神は、アブラハムが神を恐れていることをすでに知っておられたが、イサク奉献という行為を通して、それが経験的知識となったのである。(4)アブラハムが神を恐れていることが分かった理由は、「あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた」というものである。この行為によって、アブラハムはその信仰が真実なものであることを証明した。(5)それは、ヤコブの手紙22123 の教えとも合致する。「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、そして、『アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた』という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです」

 

                       雄羊

 

次にアブラハムは、角をやぶにひっかけている1 頭の雄羊を発見した。この雄羊がイサクの身代わりであることを認識した彼は、それを取り、息子の代わりに全焼のいけにえとしてささげた。ラビ的伝承では、「アブラハムは、屠殺(とさつ)、血の(そそ)ぎかけなどすべての行為の過程で、『この行為が私の息子になされたと、神が認めてくださるように』と、何度も祈った」とされている。
アブラハムはその場所を、「アドナイ・イルエ」(新改訳)と呼んだ(新共同訳では、「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)」。そこから、ある格言(かくげん)が生まれた。「【主】の山の上には備えがある」。【主】の山とは、モリヤの山、後にシオンの山と呼ばれる場所(今日の神殿の丘)である。メシアであるイエスの十字架上の死は、「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)」)が成就した出来事である。私たちにとって、神の御心を行うことを妨害するものとは何か。不信仰に打ち勝つために、【主】の山には備えがあることを信じ、その山に上ろうではないか。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより