進化論は嘘 139

 

創世記1616

 

 

1 アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。

 

2 サライはアブラムに言った。「ご存じのように、【主】は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。

 

3 アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。

 

4 彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。

 

5 そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄(おうへい)さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。【主】が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」

 

6 アブラムはサライに言った。「ご覧。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。

 

サライとハガル(1

 

不妊の女サライ

 

 

この箇所を、2 回に分けて学ぶ。神は、アブラムに息子が与えられることを約束されたが、この段階ではまだそれが成就していない。しかも、その息子の母が誰かということまでは啓示されていない。(1)アブラムの妻サライには、エジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルと言った。創世記の文脈では、サライがエジプト人の女奴隷を得る可能性があったのは、エジプトに滞在した期間だけである(創12章)。ちなみに、ラビ的伝承では、サライはパロの娘とされている。(2)ハガルという名はヘブル語で、「逃亡者」、「逃げる」などの意味がある。おそらく、アブラムかサライが、エジプトの体験にちなんで付けた名であろう。(3)創世記1130には、「サライは不妊(ふにん)の女で、子どもがなかった」とあった。彼女はアブラムに、「どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください」と提案する。これは、ハムラビ法典やヌジ文書の規定どおりの提案である(ともに前2000 年頃)。その規定によれば、もし妻が不妊であれば、夫に女奴隷を与えて、その女によって子を得るようにするのが妻の義務であった。(4)サライは、「たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう」と語っている。女奴隷から生まれた子は、正妻の子となるのが当時の習慣である。(5)サライの提案は、当時の法に適っているが、同時に彼女の信仰の欠如(けつじょ)を示している。アブラムに子が与えられるとの約束があれば、それはサライをとおしてであることは暗黙の了解事項である。アブラムには、妻はサライしかいないのだ。

 

 

アブラムの承認

 

 

「アブラムはサライの言うことを聞き入れた」。これもまた、アブラムの信仰の欠如を示している。エジプトに下った時と同じことが起こっている。彼は、神の声ではなく、サライの声を聞いた(創317 参照)。かくして、ハガルはアブラムの妻(めかけ)となった(創世記では、妻であることとそばめであることは、両立する)。以上のことは不道徳なことではなく、すべて合法的なことである。
アブラムとサライの信仰が不足していた原因はどこにあるのか。時間的な流れからいうと、彼らがカナンの地に来てから10 年が経っていた。アブラムは85 歳、サライは75 歳になっていた。おそらく彼らは、自分たちの肉体が(おとろ)えていくのを見て、こんな老人に子を産めるはずがないと考えたのであろう。アブラムとサライの失敗から教訓を学ぼう。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ  Clayより