進化論は嘘 116

 

創世記111026

 

10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。

 

11 セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。

 

13 アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。

 

15 シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。

 

17 エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。

 

19 ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。

 

21 レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。

 

23 セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。

 

25 ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。

 

26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。

 

セムの歴史(1

 

5 区分

 

 ここから、創世記の第5 区分(トルドット)が始まる。「これはセムの歴史である」(新改訳)とか、「セムの系図は次のとおりである」(新共同訳)とか訳されている部分が、第5 区分のタイトルである。この系図は非常に重要なものなので、2 回に分けて学ぶ。
 創世記5 章のアダムの系図と創世11 章のセムの系図の間には、類似点がある。(15 章では、アダムからノアまでの10 代がリストアップされ、最後にノアの3 人の息子たち(セム、ハム、ヤペテ)が出てくる。その中でセムの(おい)に当たるカナンが特別に取り上げられている。(2)それに対して、11 章では、セムからアブラムまでの10 代がリストアップされており、最後は、テラの3 人の息子たち(アブラム、ナホル、ハラン)で終わっている。また、アブラムの甥に当たるロトが特別に取り上げられている。

 

6 区分

 

 創世記11 章の系図は、アブラムが登場するための序曲と見なすことができる。つまり、イスラエルの民の歴史が始まるための準備なのだ。これまでに人類は3 度試されてきた。(1)エデンの園で、アダムが試された。(2)大洪水で、ノアとその時代の人々が試された。(3)バベルでは、人類がノア契約に忠実であるかが試された(地に広がるかどうか)。しかし人類は、そのすべてにおいて失敗した。それゆえ、人類を導くための新しい方法が必要となった。(4「これはテラの歴史である」(創1127)から、第6 の区分が始まる。ここから、創世記の内容は、全人類の歴史から、ある特定の民族の歴史へと移行する。また、多くの土地から、ひとつの土地へと移行する。アブラハムの選びをきっかけに、その移行が起こるのである。
 これまで学んだ内容を要約してみよう。(1)創世記111 章では、全人類の歴史が記録されている。聖書の救いは、すべての民族、個人に向けられている。(2)創世記12 章以降、聖書は極めてヘブル的な書となる。全人類を救うための器としてアブラハムが選ばれたので、そのような記述法になるのである。(3)神は全人類を救うためにアブラハムを選ばれた。これは、「方法の選び」である。イスラエルが選民であるとは、そういう意味である。神はアブラハムとその子孫を通して、全人類を救おうとされた。それゆえ、聖書はそのような流れに沿って読まなければならない。神は私たちを見捨ててはおられない。神の計画に沿って生きる人は、幸いである。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより