進化論は嘘 109

 

創世記10620

 

6 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。

 

7 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。

 

8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

 

9 彼は【主】のおかげで、力ある猟師(りょうし)になったので、「【主】のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

 

10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

 

11 そ の地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、

 

12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。

 

13 ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、

 

14 パテロス人、カスルヒム人──これからペリシテ人が出た──、カフトル人を生んだ。

 

15 カナンは長子シドン、ヘテ、

 

16 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、

 

17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、

 

18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。

 

19 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。

 

20 以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。

 

ハムの系図

 

ハムの子孫たち

 

 「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン」6 節)。ハムには4 人の息子が生まれたが、詳細に取り上げられているのは、その中の3 人である。クシュ、ミツライム、カナン。この系図によれば、ハムから出る氏族数は30 に上る。
 (1)クシュには、6 人の息子が生まれた。その中で重要なのが、6 番目のニムロデである。その名前の意味は、「反逆する」である。おそらく、後になってから彼に与えられた名前であろう。ニムロデは、「地上で最初の権力者となった」とある。彼は邪悪(じゃあく)な者であり、(けもの)の狩猟者であるばかりか、人を狩る者ともなった。そのために、「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」(口語訳)ということわざが生まれたのである。ニムロデは、初めて王国を建てた者となった。王国の1 つはシヌアル(バビロニア)に、もう1 つはアシュル(アッシリヤ)に。この時に、後の時代にイスラエルの民が経験するバビロン捕囚(ほしゅう)とアッシリヤ捕囚の種が()かれたことになる。
 (2)ミツライムには、7 人の息子が生まれた。「ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、パテロス人、カスルヒム人──これからペリシテ人が出た──、カフトル人を生んだ」1314 節)。ミツライムという言葉は、エジプトを意味する言葉である。ミツライムの系図の中に「ペリシテ人」が登場するが、これは、士師記やサムエル記の中でイスラエルの仇敵(きゅうてき)として登場するペリシテ人(エーゲ海から移住した民族)とは別の氏族と考えるのが正解である。この系図に出て来るペリシテ人は、それよりも前から存在していたのである。
 (3)カナンには11 人の息子が生まれた。「カナンは長子シドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た」1518 節)。カナンはノアの預言によって呪われた民となった。彼らは、後にイスラエルの民を攻撃する民となる。
 今回は、ニムロデを反面教師として、神を恐れる生き方を学ぼうではないか。彼はまさに、傲慢(ごうまん)な現代人の原型のような人物で、神に対する恐れを欠いていた。彼の生き方は、決して英雄的なものではなく、(おろ)か者のそれである。「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。彼らは(くさ)っており、()まわしい事を行っている。善を行う者はいない」(詩141

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより