進化論は嘘 101

 

創世記8614

 

6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、

 

7 (からす)を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。

 

8 また、彼は水が地の面から引いたかどうかを見るために、(はと)を彼のもとから放った。

 

9 鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。

 

10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。

 

11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。

 

12 それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。

 

13 ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。

 

14 第二の月の二十七日、地はかわききった。

 

 

 

烏と鳩

 

烏を放つ

 

 ノアは、40 日の終わりになって、乾いた地が現れたかどうかを調べるために烏を放った。烏は、聖書では「きよくない鳥(汚れた鳥)」に分類されている(レビ1115、申1414 など参照)。旧約聖書には、烏がエリヤに食物を運んだという記事がある(1176)。新約聖書では、烏もまた神によって養われているとされている(ルカ1224)。
 烏は、水の上に浮かんだ動物の死骸(しがい)を食べて生きることができた。新改訳では「烏を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた」7節)となっているが、これは、烏が箱舟から出たり戻ったりしたという意味ではない。烏が動物の死体の上に留まり、あちこち飛び回ったということである。

 

鳩を放つ

 

 次にノアは鳩を放った。聖書では、鳩は「きよい鳥」に分類され、良いイメージを表現するために用いられている。 若い時の目の美しさ(雅11541512)、 愛の象徴(雅2145269)、 長距離を飛ぶ鳥(詩556、イザ608、ホセ1111)などがその例である。
 鳩を放った目的は、水が地表から引いたかどうかを調べるためである。これまでノアは、神の啓示によって行動してきたが、ここでは常識的な方法で状況を確かめようとした。(1)鳩は、動物の死骸を食べて生きることはできない。また、烏のように頂上を好むのではなく、谷に生息することを好む。最初に放った鳩が帰って来たことは、水が依然(いぜん)として地表をおおっていたことを示している。(22 度目に放った鳩は、オリーブの若葉をくわえて帰って来た。それによって、高地には水がなくなっていることが分かった。(33 度目に放った鳩は、戻って来なかった。つまり、谷間の地区も(かわ)いたということである。
 ノアの生涯の601 年の第1 の月の1 日に地上の水は乾いた。箱舟のおおいを取り去り、外をながめると、地の面は乾いていた。それでもノアは、さらに57 日を箱舟の中で過ごし、神のことばを待った。第2 の月の27 日、地は乾き切った。ノアが箱舟の中にいた期間は、371 日、ちょうど53 週であった。ノアは地表から水が引いたことを確認した後も、神のことばが与えられるまで、箱舟に留まった。地表にはぬかるみがあり、外に出るのは危険だと判断したからである。ノアの忍耐(にんたい)から教訓を学ぼうではないか。ノアがこのような忍耐心を発揮(はっき)できたのは、神に信頼していたからである。試練の時、私たちに必要なのは神への信頼である。

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより