進化論は嘘 88

 

創世記614

 

1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、

 

2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

 

3 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の(よわい)は、百二十年にしよう」と仰せられた。

 

4 神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

 

 

 

雑婚とその結果(1

 

堕天使と人間の女との雑婚

 

 12節に記されているのは、堕天使と人間の女との雑婚である。(1「神の子ら」(ベネイ・ハエロヒム)という言葉は、ヘブル語聖書(旧約聖書)では常に天使を指す。この言葉は、良い天使も堕天使も指す(ヨブ1621387参照)。(2)天使は、神によって造られたので、「子ら(sons)」と呼ばれるのである。(3)新約聖書に入ると、「神の子」は天使以外の者も指すようになる。ルカ338ではアダムが、ヨハネ112では信者がそう呼ばれている。新約聖書の例でも、神によって直接造られたという要素は残っている。(4)イエス・キリストもまた「神の子」であるが、イエスの場合は「ひとり子」と呼ばれる。それは、イエスが永遠に存在していることを示している。(5)堕天使と人間の女との雑婚という解釈は、昔からあるユダヤ人の解釈である。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、「ユダヤ古代史」(紀元173年)の中で、「神の子ら」(ベネイ・ハエロヒム)を「天使」と解釈している。

 

領域を超えるという罪

 

 (1「人の娘たち」とは、人間の女のことである(カインの系列の女も、セツの系列の女も含まれている)。(2「神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て」とある。「いかにも美しい」とは、性的ニュアンスを含んだ言葉で、堕天使たちが欲望の目で人間の女を見たことを示している。良い天使は結婚しないが、堕天使はそうではない。(3「好きな者を選んで、自分たちの妻とした」は、堕天使と人間の雑婚を表している。(4)どうしてサタンは、悪霊ども(堕天使たち)にこのようなことをさせたのであろうか。その背景には、創世記315の「女の子孫(種)」の約束がある。その言葉は、サタンに向かって語られたものであった。サタンは、人間の女の「かたち」を破壊し、「女の子孫」の誕生を妨害しようとしたのである。(5)かくして、堕天使たちは「人と天使の垣根(かきね) 」を越えた。これは重大な罪である。
 罪の根源(こんげん)は、自らの領域(りょういき)を超えて神のようになろうとするところにある。自分の人生は自分で決めるという傲慢(ごうまん)な思いを持つ人は、自らを神としている人である。私たちは、目的をもって造られ、日々神によって生かされている。神の御心と調和した人生こそ、幸いな人生である。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」(詩11

 

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより