進化論は嘘 62

創世記2814

 

 

 

8 神である【主】は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

 

9 神である【主】は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。

 

10 一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの(みなもと)となっていた。

 

11 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れる。そこには金があった。

 

12 その地の金は、良質で、また、そこにはベドラハとしまめのうもあった。

 

13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れる。

 

14 第三の川の名はティグリス。それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。

 

エデンの園

 

 

エデンの東の方

 

 「神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた」8節)。(1「エデン」というのは地名である。メソポタミア地方のどこかに、エデンと呼ばれる場所があったのである。(2)神は、そのエデンと呼ばれる場所の東側に一つの園を設けた。「設ける」という動詞は、「植える」という意味である。それが「エデンの園」と呼ばれた。(3)「エデン」は地名であり、かつ園の名前でもあった。その語源は、水で潤っているという意味である。事実、エデンから一つの川が流れ出ていた。その川は園を潤し、それから4つの川に枝分かれしていた。(4)最初の人アダムは、エデンの園以外の場所(恐らくエデンの西側)で形造られ、それから園に置かれたのである。

 

 

エデンの園に生える木々

 

 (1)神がアダムのために用意されたエデンの園は、完璧なものであった。そこには、外見が美しく、美味しい実を付ける木だけが生えていた。(2)園の中央には、「いのちの木」が生えていた。これは、文字どおり、それを取って食べると肉体的に死ななくなる木である(創322324、箴31811301312154など参照)。この木は、新約聖書では黙示録に登場する(黙272221419)。(3)さらに、園の中央には、「善悪の知識の木」も生えていた。キリスト教の伝統では、この木はりんごと言われているが、聖書にはそのような記述はない。「善悪の知識」とは、知識の総体であり、体験的知識でもある。つまり、この木から食べると「知識の総体」を得るのであるが、その行為は、人が自分にとって何が良いかを決定するということ、つまり、神のように()()うことを意味している。そうなると、人は知識の総体を得るが、実際の行動においては、その知識によって生きることができなくなる。ここに、神を離れた人間のジレンマがある。人は()すべきことを知っていながら、それを為すことができないのである。神の助けがなければ、私たちは無力である。
 

 罪の本質とは、自分が神であるかのように振る舞うことである。自分にとって何が最善かは自分で判断するという態度が、まさにそれである。神を排除(はいじょ)した結果、人は死(神との断絶)を経験するようになった。しかし神は、私たちを見捨ててはおられない。イエス・キリストを通して神と和解した私たちは、「いのちの木」に向かっての歩みを開始したのである(黙2214)。

 

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより