進化論は嘘 59

創世記213

 

1 こうして、天と地とそのすべての万象(ばんしょう)が完成された。

 

2 神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。

 

3 神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。

 

7

 

7日目の安息

 

 神は6日間で、天と地とそのすべての万象をお造りになった。そして創造の第7日目には、すべてのわざを休まれた。(1)この日、神は創造のわざの完成をお告げになった。つまり、被造物が完璧(かんぺき)に出来上がったということである。(2)この日、神はすべてのわざを休まれた。6日間しっかりと働いたので、疲れたから休んだという意味ではない。神は、それ以上何もすることがなくなったので、休まれたのである。7日目の安息(あんそく)は、創造のわざの完成を意味している。(3)この時点では、安息日という名称も規定もない。ある人たちは、安息日の規定は創造の秩序(ちつじょ)の中に含まれていると主張するが、そうではない。安息日を守れという命令は、出エジプト記に入ってから与えられるものである。出エジプト記3117にはこのようにある。「これ(安息日の規定)は、永遠に、わたしとイスラエル人との間のしるしである。それは主が六日間に天と地とを造り、七日目に休み、いこわれたからである」

 

神が祝福した日

 

 神は第7日目を祝福し、この日を聖であるとされた。つまり、神は第7日目を他の日とは区別し、その日を高く上げたということである。このことは、神を信じる者にとって重要な意味を持っている。ヘブル4章では、第7日目の安息は、イエス・キリストを信じる人々が経験する「神の安息」を予表していると教えている。約2千年前に、イエス・キリストは、私たち罪人の罪を(あがな)うために、十字架の上でご自身の命を犠牲(ぎせい)にしてくださった。その結果、私たちは「神の安息」を味わう祝福に(あずか)るようになった。パウロもまたこの安息についてこう書いている。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ロマ51)。「神の安息」の本質は、「神との平和」である。
 「神の安息」は、地上生涯において経験する安息であると同時に、終末的な概念(がいねん)(将来経験する安息)でもある。心が動揺(どうよう)したり、将来に不安を覚えたりするとき、なぜそうなっているのか考えてみよう。神がイエス・キリストにあって用意してくださった「神の安息」を十分に味わえていないなら、その原因は私たちの側にある。自分の内にある罪や不信仰を告白し、救い主イエス・キリストの御前(みまえ)に重荷を下ろそうではないか。「神との平和」こそ「(たましい)の安息」をもたらす(かぎ)である。

 

ハーベストタイムミニストリーズ Clayより