進化論は嘘 58

創世記12431

 

24 神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった。

 

25 神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。

 

26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するよう
に。」

 

27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 

28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

 

29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。

 

30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。

 

31 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。

 

6

人間の創造

 

 第3日目と第6日目には、相関関係がある。第3日目には「陸」と「海」が分かれた。第6日目には陸で生きる動物たちが造られ、最後に人間が造られた。(1)神は、「さあ人を造ろう」と言われた。これまでは「○○あれ」という宣告であったが、ここでは「○○しよう」ということばになっている。これは、創造の業がクライマックスを迎えたことを示している。(2「われわれ」という複数形の主語は、神が三位一体のお方であることを表している。(3「人」はヘブル語で「アダム」である。アダムという言葉が、普通名詞として使われている。(4「神のかたち」には、2つの要素がある。外面的要素として、言葉の使用、顔の表情、恥の感情、自然界を支配する能力などがある。内面的要素として、知性、感情、意志、霊性などがある。(5)人間には、地とそこに住むものとを支配・管理する特権が与えられた(詩篇868、ヘブル259参照)。

 

エデン契約

 

 次に、聖書の最初の契約である「エデン契約」が登場する。これは、神が人類の代表であるアダムと結んだ契約で、4つの条項がある。(1)地に増え広がれという命令。「生めよ。ふえよ。地を満たせ」。(2)地を管理せよという命令。「地を従えよ」。(3)生物界を管理せよという命令。「海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」。アダムが動物に名前を付けるのは、管理権の行使である。(4)食物が与えられる。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる」。この時点では、人類は菜食主義者である。自然界に死が入ってくるまでは、人類は菜食しか知らなかった。
 「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」31節)。「非常に良かった」と書かれているのは、第6日目だけである。締めくくりは、「夕があり、朝があった。第六日」である。被造の世界は、「非常に良かった」という状態から始まった。それを悪くしたのは、人類の罪である。自分は「神のかたち」に造られているという自己認識を持つ人は幸いである。その人は、自分という存在の価値を認め、神に感謝しながら生きるようになるからである。神は私たちを、最初の「非常に良かった」状態へと回復しようとしておられる。きょうも、希望をもって生きようではないか。