進化論は嘘 24

第7 課
兵士として
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この
暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に
対するものです」 (エペソ6:12)
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第7課の絵の概念
1. 戦場 ……………………クリスチャンの生活は、霊の戦いとしての側面を持っています。
2. 上から差し込む光 …この戦いは、主の戦いです。
3. 3つの火矢 …………クリスチャンを攻撃する敵が、3つあります。
( 1)黒い影 ………………… 悪魔(サタン)
( 2)王座 …………………… 肉の願い
( 3)衣・食・住 …………… 世の欲
4. 3人の兵士 ……………霊の戦いを戦う兵士には、3種類の人々がいます。
( 1)傷ついた兵士 …………… 生まれながらの人
( 2)絶望している兵士 ……… 肉に属する人(キリストにある幼子)
( 3)戦う兵士 ………………… 御霊に属する人
5. 戦う兵士の武具 ……神が与えてくださる霊の武具を身につけなければなりません。
( 1)帯 ………………………… 真理の帯
( 2)胸当て …………………… 正義の胸当て
( 3)サンダル ………………… 平和の福音の備え
( 4)大盾 ……………………… 信仰の大盾
( 5)かぶと …………………… 救いのかぶと
( 6)剣(つるぎ) …………… 御霊の与える剣(神のことば)
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第7課 兵士として
イントロダクション
 クリスチャン生活に限らず、生きていくことは、それ自体が戦いの連続です。赤子は、
誕生したとたんに、新しい戦いの中に入ります。人間の肉体は、外部から侵入して来
る細菌と絶えず戦っています。植物は、水を注ぎ、手入れをしてやらなければ、枯れ
てしまいます。結婚生活は、偶然に出来上がるものではなく、2人の力で育てていか
なければなりません。そのように、生きることは、そのまま戦いであるのです。
1. クリスチャン生活は、霊の戦いとしての側面を持っています。
 クリスチャンになっても、戦いがなくなるわけではありません。イエスは、死の直前、
弟子たちのために祈ってこう言われました。
「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守っ
てくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこ
の世のものではありません」 (ヨハネ17:15,16)
 クリスチャンに保証されているのは、問題からの自由ではなく、問題の中での自由
です。
2. この戦いは、主の戦いです。
 しかし、クリスチャンは、この霊の戦いを一人で戦うのではありません。ともにい
て戦ってくださるイエス・キリストがおられます。
「この戦いは主の戦いだ」 (Ⅰサムエル17:47)
「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あ
なたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるか
らです。彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もま
た彼らの言うことに耳を傾けます」 (Ⅰヨハネ4:4,5)
3. クリスチャンを攻撃する敵が、3つあります。
 この敵は、明確に3つに分けられるものではなく、相互に関連し合っているものな
のですが、ここではあえて3つに分けて考えてみましょう。
(1)悪魔(サタン)
 神を信じる人でも、悪魔の存在に関しては疑問を抱いている場合があります。し
かし、ひとたび神の声のみに聞き従っていこうと決めた瞬間から、悪魔の存在は現
実的なものとなってきます。
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 悪魔は、私たちを単に悩ますためだけでなく、完全に破壊し尽くすために動き回っ
ています。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅
子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」
(Ⅰペテロ5:8)
 サタンは、
・神のわざを妨害します。 (マルコ4:15)
・人を神から離そうとします。 (ヨブ2:4,5)
・人の礼拝を要求します。 (ルカ4:6 ~ 8)
・御使いに変装します。 (Ⅱコリント11:14)
・聖書を悪用します。 (マタイ4:6)
・不法の人を起こします。 (Ⅱテサロニケ2:9)
 サタンが伝道を妨害することは、使徒の働きの記述からも明らかです。
・サマリヤの魔術師シモン (使徒8:9)
・サラミスの魔術師バルイエス (使徒13:6)
・ピリピの占いの霊につかれた若い女奴隷 (使徒16:16)
・エペソでの悪霊とユダヤ人の魔よけ祈祷師 (使徒19:13)
(2)肉の願い
 ここで注意したいのは、ここで言う「肉」とは、肉体や人間性のことをさしてい
るのではなく、人間の内にある悪しき原理のことを言っているということです。肉
体そのものは、決して悪ではありません。
「ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついてい
る罪なのです。私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないの
を知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行す
ることがないからです」 (ローマ7:17,18)
 人間の自己中心性は、絶えず十字架につけられなければなりません。それは、
ある時点での決断であると同時に、日々継続しなければならないことでもあります。
「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、
十字架につけてしまったのです」 (ガラテヤ5:24)
 ガラテヤ5:16 ~ 26 には、肉の原理と御霊の原理の対比が描かれていますが、ク
リスチャンは、内側にこの2つの性質を持っているがゆえに、絶えざる葛藤の中を
歩むことになります。
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(3)世の欲
「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛している
なら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、す
なわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、
この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこ
ころを行う者は、いつまでもながらえます」 (Ⅰヨハネ2:15 ~ 17)
 世とは、神が創造された世界(中心的には人間)をさす場合と、神に反抗する勢
力をさす場合とがあります。ここでは、後者の意味で用いられます。
 前項では、クリスチャンの二面性(肉の性質と霊の性質)についてふれましたが、
ここでも別の意味での二面性があります。それは、クリスチャンは、この世のもの
ではないが、この世に遣わされているということです。
・この世のものではない。 (ヨハネ17:14 ~ 16)
・この世に遣わされている。 (ヨハネ17:18)
・この世と調子を合わせてはいけない。 (ローマ12:2)
 自らが寄留者であることを告白する人生こそ、祝福の人生です。
4. 霊の戦いを戦う兵士には、3種類の人々がいます。
 この霊の戦いを、人々はどのように戦うのでしょうか。
  ・生まれながらの人
  ・肉に属する人
  ・御霊に属する人
 以上の3区分に従って考えてみましょう。
(1)生まれながらの人
 この人々にとっては、目に見えるものだけが現実で、霊の世界、みことばの現実
などは、愚かなことに思えるのです。従って、霊の戦いには、完全に敗北します。
「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼に
は愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊
のことは御霊によってわきまえるものだからです」 (Ⅰコリント2:14)
(2)肉に属する人(キリストにある幼子)
 パウロは、コリントのクリスチャンのことをこう呼びました(Ⅰコリント3:1 ~ 4)。
・堅い食物は与えられない。
・ねたみや争いがある。
 この人々は、霊の戦いの現実を知ってはいても、それに勝つことのできない人々です。
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(3)御霊に属する人
「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによっても
わきまえられません」 (Ⅰコリント2:15)
 ここで、第5 課で学んだ霊の呼吸(主の祈り)についてもう一度考えましょう。
5. 神が与えてくださる霊の武具を身につけなければなりません。
 御霊の人は、神の武具を身につけ、この戦いに勝利することができます。
「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着
け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の
大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」
(エペソ6:14 ~ 17)
(1)真理の帯
人は真理に従うなら自由を発見し、真理に逆らうなら、何一つすることができま
せん。
「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。『もしあなたがたが、わ
たしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします』」
(ヨハネ8:31,32)
「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもで
きるのです」 (Ⅱコリント13:8)
(2)正義の胸当て
 胸当ては、心臓を守るものです。
 パウロは、神の義を発見したときに起こる価値観の変化について次のように語っ
ています。
「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさの
ゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのも
のを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、
また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリ
ストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を
持つことができる、という望みがあるからです」 (ピリピ3:8,9)
(3)平和の福音の備え
 神の御心を行うのに必要な心構えを保つことが大切です。
 兵士は、すぐに動き回れるように足にサンダルを履いていました。
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(4)信仰の大盾
 この信仰は、みことばへの信仰でなければなりません。見ていないことを確信す
るのが信仰です。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」
(へブル11:1)
(5)救いのかぶと
 これは、救いの確信のことです。確信がなければ、敵の術中にはまります。
「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをか
ぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」 (Ⅰテサロニケ5:8)
(6)御霊の与える剣(神のことば)
 イエスの荒野の試みは、すべて、みことばによる勝利でした。
 クリスチャンの戦いは、敵に背を向けたときに敗れます。神の与える武具は、すべ
て体の前面を守るものです。敵に背を向けることなく、前進して行きましょう。
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