進化論は嘘 23

第6 課
神の国の市民として
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が
できません」 (マタイ5:14)
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第6課の絵の概念
1. 山上で説教するイエス ……………イエス・キリストは、神の国の王として来られま
した。
2. 人々の中央に位置するイエス ……イエス・キリストは、神の国のいっさいの権威を
持っておられます。
3. イエスを取りまく8 組の人々 ……神の国の市民は、この世と区別されています。
(1)ダビデ ……………………心の貧しいものは幸いです。
(2)ヨ ブ ………………………悲しむ者は幸いです。
(3)モーセ ……………………柔和な者は幸いです。
(4)パウロ ……………………義に飢え渇いている者は幸いです。
(5)良きサマリヤ人 …………あわれみ深い者は幸いです。
(6)ステパノ …………………心のきよい者は幸いです。
(7)バルナバ …………………平和をつくる者は幸いです。
(8)ダニエルの3人の友人 …義のために迫害されている者は幸いです。
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第6課 神の国の市民として
イントロダクション
 人は、正しい自己像(セルフ・イメージ)を持っていなければ、豊かな人生を歩む
ことができません。前課では、クリスチャンは霊の幼子であることを学びましたが、
この課では、天国の市民であることを学びます。
 学びの前提として、次の点に注意しましょう。
「この群集を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに
来た」 (マタイ5:1)
・山上の説教は、律法による救いを説いたものではない。
・山上の説教は、弟子たちに語られたものである。
1. イエス・キリストは、神の国の王として来られた。
 イエス・キリストの公生涯最初のメッセージは、「悔い改めなさい。天の御国が近づ
いたから」(マタイ4:17)でした。「神の国」も「天の御国」も同じ意味です。「神の国」
こそ、イエスの宣教の中心テーマでした(この場合の「神の国」とは、メシア的王国、
つまり千年王国のことです)。神の国には、
   (1)王の存在
   (2)王の権威
   (3)王の民
の3つが必要です。私たちがすぐに考える地理的な概念は、この言葉には含まれてい
ません。「神の国」には、信者の心の中にある神の支配という意味もあります。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、
これらのものはすべて与えられます」 (マタイ6:33)
2. イエス・キリストは、神の国のいっさいの権威を持っておられます。
 イエスは、山上の説教の中で、旧約聖書をたびたび引用し、「あなたがたは……と聞
いています。しかし、わたしはあなたがたに言います」というパターンで、自らが、
旧約を解釈し、それを霊的な次元にまで高める権威があることを示しておられます。
 また、この地上を去る時、弟子たちに次のようにお命じになりました。
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地に
おいても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、
あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプ
テスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るよ
うに、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたが
たとともにいます』」 (マタイ28:18 ~ 20)
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3. 神の国の市民は、この世と区別されています。
 神は、神の国の市民に対して、この世の民とは異なった生活様式、価値基準、倫理
基準を要求されます。神の民であるイスラエルは、この世と分離した生活を始めたと
き祝福を受け、この世と同化したとき滅びへと向かいました。
  ・アブラハムの召命 (創世記12:1 ~ 3)
  ・出エジプトの体験 (レビ18:1 ~ 4)
  ・王政の移行 (Ⅰサムエル8:5,19,20)
 ・偶像礼拝の罪 (エゼキエル20:32)
 ・イスラエルの捕囚 (Ⅱ列王記17:7,8)
 山上の説教を理解するためには、以上のような背景を頭に入れておかねばなりませ
ん。イエス・キリストは、神の国の市民を、「地の塩」(マタイ5:13)、「世界の光」(マ
タイ5:14)、と呼ばれましたが、ここには、神の3つの期待があります。
 ・他の部分とは区別されている。
 ・拡散していく性質がある。
 ・良い影響を与えることができる。
 イエス. キリストは、神の国の市民が持つ8つの性質について触れ、そのような人々
を、「幸いな人々」と呼ばれました。この「幸い」とは、
 ・主観的に「幸い」と感じるかどうかでなく、客観的な宣言です。
 ・死後来るものでなく、この世にあって味わえるものです。
(1)心の貧しい者は幸いです。 (マタイ5:3)
 心の貧しい者とは、自分の必要を認めることのできる人、悔い改めの心のある人
のことです。ダビデは、このような性質を持った人物です。
 ・主の戦士     (Ⅰサムエル17:47)
 ・恵みを受けた罪人 (詩篇32 篇、51 篇)
 ・詩人       (詩篇23 篇)
(2)悲しむ者は幸いです。 (マタイ5:4)
 クリスチャンライフは、バラ色の人生とは異なります。クリスチャンであっても
問題に直面します。また、信仰者であるがゆえの問題もあるのです。そのようなとき、
ヨブを思い出しましょう。彼は、その苦しみの中から、次のようなレッスンを学び
ました。
 ・試練は罪の結果だと考えてはいけない。
 ・人の言葉は助けにならない。
 ・神の恵みは十分である。
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(3)柔和な者は幸いです。 (マタイ5:5)
 柔和とは、弱さのことではなく、自己制御できる能力のことです。また、客観的
に自己を評価できる人のことです。モーセこそ、この条件にピッタリの人物です。
「 さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」
(民数12:3)
 ・エジプトでの40 年間(自己能力の開発)
 ・ミデアンでの40 年間(無力さの発見)
 ・出エジプトの40 年間(柔和な性質の開花)
(4)義に飢え渇いている者は幸いです。 (マタイ5:6)
 これは、神との関係において、他人との関係において、正しく生きたいと願うこ
とです。義を激しく求めた人として、第1番目に名前を挙げることができるのは、
パウロです。
 ・律法の義を求めた人
 ・神の義を知った人
 ・神の義のために燃え尽きた人
(5)あわれみ深い者は幸いです。 (マタイ5:7)
 助けを必要としている人々への配慮が、この「あわれみ」です。良きサマリヤ人は、
このあわれみを実際の行動で示した人です(ルカ10:30 ~ 37)。インドのカルカッ
タで奉仕したマザーテレサは、現代人に対して最も雄弁に「あわれみ」が何である
かを語る神の器です。
 ・自らがあわれみを受けたと知る人
 ・隣人の必要に敏感な人
 ・見返りを期待しない人
(6)心のきよい者は幸いです。 (マタイ5:8)
 これは、裏表なく生きる人、動機まできよい人のことです。この性質を持った人
として、私がまっ先に思い出すのは、ステパノです。彼は、聖霊に支配された人物
です。
 ・人格が変えられた人(天使の顔をした人)
 ・力に満たされた人(敵を論破した人)
 ・見えないものを見た人(神の右に立つイエスを見た人)
「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っ
ておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の
右に立っておられるのが見えます』」 (使徒7:55,56)
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(7)平和をつくる者は幸いです。 (マタイ5:9)
 真理は人々を二分します。そこに争いを作り出します。神第一に生きようと思え
ば、すぐにこの世からの攻撃を受けます。しかし、だからと言って、クリスチャンは、
自ら争いを作り出すものではありません。すべての人々と平和を求めるように教え
られています。バルナバは、平和をつくる人でした。
 ・献身の人(使徒4:36,37)
 ・慰めの人(使徒9:26 ~ 30)
 ・赦しの人(使徒15:37)
(8)義のために迫害されている者は幸いです。 (マタイ5:10)
 「神の国」と「この世の王国」との間の戦いがある限り、「迫害」は必ず起こります。
クリスチャンがどんなに真実に歩んでも、その真実さのゆえに、「迫害」がやって来
ます。ここで思い出すのが、ダニエルの3人の友人(シャデラク、メシャク、アベデ・
ネゴ)のことです。
「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。『私たちは
このことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、
私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。
神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、
ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝む
こともしません』」 (ダニエル3:16 ~ 18)
 ・迫害に対して心備えができていた。
 ・最後の裁きを神にゆだねていた。
 ・結果にかかわらず、幸いであることを選びとった。
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