進化論は嘘:17


ハーベスト成長セミナー
中川 健一・著
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
ハーベスト成長セミナー© 不許転載
1989 年6 月1 日 初版第1 刷
2003 年2 月10 日 第3 刷
2008 年5 月1 日 第2 版第1 刷
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ発行
〒410-1115 静岡県裾野市千福が丘1-21-85
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改訂版まえがき
 ハーベスト成長セミナーの初版を出版してから、19 年が経過しました。その間、私たちを取り巻く環境は激変しました。初版で使用した例話の中には、すっかり古びてしまい、今の若い人たちには通じないものも出てきました。そこで、一大決心をして改訂版を出すことにしました。
 改訂版の特徴は以下のようなものです。
(1)テキストの内容の変更は、最小限に留めました。
(2)テキストのサイズを、B 5版からA 4版に改めました。
(3)教材は、カセットテープからDVD に変更しました(CD 版も用意しました)。
(4)各課を、およそ30 分ずつの前半と後半に分けました。グループで学ぶ場合は、30 分間DVD を観て、それに基づいてディスカッションの時をお持ちください。
(5)この成長セミナーは、2008 年5 月末に、米国カリフォルニア州ノースリッジのチャーチ・エブリデイを会場に実施されたものです( ご協力いただいた教会員の皆さまに感謝します)。
 改訂版を制作しながら、成長セミナーの内容そのものは19 年前とほとんど変わっていないことに感銘を受けました。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない」(I ペテロ
1:24,25)。この聖句が真実であることを痛感しました。
 ハーベスト成長セミナーを学ばれる皆さまの上に、神の祝福が注がれますように。
2008 年8 月   
中 川 健 一

 

まえがき
 このテキストが誕生した背景についてお話しさせていただきます。
 テレビ伝道、また大衆伝道の働きに関わり、多くの新しいたましいとの出会いを体験するようになりましたが、私にとっての最大の課題は、そのような方々にいかにして福音を伝えるか、また、決心された方々をどう導くかということでした。頭の中には、次の3つの願いがありました。
(1)求道者に福音を明確に伝えるテキストが欲しい。
(2)決心した方の霊的成長を助けるためのテキストが欲しい。
(3)成長したクリスチャンが、使命に生きる者となるためのテキストが欲しい。
 以上の3つの目的をもって、テキストの原案づくりを始めましたが、先ず、私が牧会している教会の婦人会で、12 回にわたって講義をし、それを基にして最終的な執筆にとりかかりました。
  PART Ⅰは、求道中の方、更に深い確信を持ちたい方のためのものです。
  PART Ⅱは、霊的成長を求める方のためのものです。
  PART Ⅲは、終末時代の伝道を考える方のためのものです。
 絵を用いて概念を教える方法は、私が考え出したものではなく、ベテル聖書研究所のハーレー・スイガム博士より教えられたものです。1980 年よりおよそ10 年にわたって、博士が教えられるベテル聖研の同時通訳をさせていただきました。1987 年2 月、博士が来日された折に、ハーベスト成長セミナーの構想についてご相談し、ベテル聖研の手法を用いさせていただきたいと申し出ましたところ、博士は快く同意してくださいました。
スイガム博士に深く感謝します。
 このテキストを用いられるお一人お一人が、人生の収穫の時をお迎えになられますようにお祈りいたします。
1989 年4 月   
中 川 健 一
目 次
PART Ⅰ  人生は出会いで決まる
第1課 聖書との出会い …………………………………………………… p. 1
第2課 自己との出会い …………………………………………………… p. 7
第3課 イエス・キリストとの出会い……………………………… p. 13
第4課 新しいいのちとの出会い …………………………………… p. 19
PART Ⅱ  成長するいのち
第5課 幼子として ……………………………………………………… p. 24
第6課 神の国の市民として ………………………………………… p. 30
第7課 兵士として ……………………………………………………… p. 36
第8課 羊として ………………………………………………………… p. 43
PART Ⅲ  終末時代に生きる
第9課 人生のパノラマ ………………………………………………… p. 49
第10課 史上最大のプロジェクト …………………………………… p. 55
第11課 聖書的スチュワードシップ ………………………………… p. 61
第12課 終末時代のエバンジェリズム …………………………… p. 67
第1課
聖書との出会い
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの
ことばによる」 (マタイ4:4)
1
第1 課の絵の概念
1. 破られたカレンダー ……… 神は、人類にいろいろな方法で語られました。
(1)自然の絵 ……………… 神は、自然を通して語られました。
(2)預言者たちの絵 ……… 神は、預言者を通して語られました。
(3)幼児の絵 ……………… 神は、御子(イエス・キリスト)によって語られました。
2. 聖書を差し出す両手 ……… 聖書は、神から人類にあてられたラブレターです。
3. 旧約聖書の上の影の人物 … 旧約聖書は、イエス・キリストを示す影です。
4. 新約聖書の上の人物 ……… 新約聖書は、旧約聖書の成就です。
5. 旧新約聖書の上の6つのシンボル … 聖書には6つの比類なき特徴があります。
(1)第1のシンボル(縄) ……………… 聖書には不思議な統一性と調和があります。
(2)第2のシンボル(印刷機) ………… 聖書は、世界のベストセラーです。
(3)第3のシンボル(羽根ペン) ……… 聖書は、最も多くの言語に翻訳されています。
(4)第4のシンボル(剣) ……………… 聖書は、多くの迫害に勝利してきました。
(5)第5のシンボル(花形のリボン) … 聖書の内容は、ユニークです。
(6)第6のシンボル(灯台) …………… 聖書は、人類の歴史を導いてきました。
6. 4つに分かれた旧約聖書 ……… 旧約聖書は、4つの部分に分かれます。
7. 4つに分かれた新約聖書 ……… 新約聖書も、4つの部分に分かれます。
8. 手首につけられた2つの鍵 …… 聖書を解く鍵が、2つあります。
(1)第1の鍵 ……………… イエス・キリスト中心に読んでいかなければなりません。
(2)第2の鍵 ……………… 聖霊の導きを受けなければなりません。
9. 光り輝く新約聖書 ………… 聖書の目的は、私たちに永遠のいのちを与えることです。
2
第1課 聖書との出会い
イントロダクション
 聖書ほど不思議な書物はありません。しかし、聖書ほど誤解されている書物もほか
にはありません。
1. 神は、人類にいろいろな方法で語られました。
(1)神は、自然を通して語られました。
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時
からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼ら
に弁解の余地はないのです」 (ローマ1:20)
   ☞参照  詩篇19:1
(2)神は、預言者たちを通して語られました。
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、」 (ヘブル1:1)
(3)神は、御子(イエス・キリスト)によって語られました。
「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました」 (ヘブル1:2)
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」 (ヨハネ1:18)
2. 聖書は、神から人類にあてられたラブレターです。
 宗教改革者ルターは、ヨハネの福音書3 章16 節を「聖書のミニチュア」と名づけ、「聖書全体が失われるようなことがあっても、ヨハネ3:16 が残っているなら、人々はクリ
スチャンになり続けるであろう」と語りました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(ヨハネ3:16)
3. 旧約聖書は、イエス・キリストを示す影です。
 旧約時代の律法といけにえは、完全に人を救うことができないものであり、キリストが示す影にしかすぎないものであることが、ヘブル人への手紙で教えられています。
「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです」 (ヘブル10:1)
3
「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです」(コロサイ2:16,17)
4. 新約聖書は、旧約聖書の成就です。
 イエス・キリストは、旧約聖書を否定するために来たのではなく、成就するために来たと語っておられます。
  ☞参照  ルカ24:27、44  ヨハネ5:39  ヘブル10:7
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。
天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます」 (マタイ5:17,18)
5. 聖書には6つの比類なき特徴があります。
 ジョシュ・マクドゥエル師は、その著『評決を下すべき証拠(Evidence That Demands A Verdict)』の中で、以下の6つの点を、聖書の比類なき特徴としてあげています。
(1)聖書には不思議な統一性と調和があります。
・1600 年にわたって書き続けられました。
・40 人以上の人々の手によって書かれました。
・さまざまな場所で書かれました。
・3つの異なる言語で書かれました。
 ヘブル語 旧約聖書のほとんど全部
 アラム語 旧約聖書の一部(エズラ記とダニエル書2:4b ~ 7:28)
 ギリシア語 新約聖書
・論争の的となるテーマを無数に扱っています。
・これだけの多様性を持ちながら、しかも統一性と調和を保っている本は、聖書以外にはありません。
(2)聖書は、世界のベストセラーです。
・2005 年の資料では、世界の年間総頒布数(分冊も含む)は、約4億冊です(日本はその約1%)。
(3)聖書は、最も多くの言語に翻訳されています。
・聖書は、世界で最初に翻訳された本です(紀元前250 年、ヘブル語の旧約聖書がギリシア語に翻訳され、七十人訳聖書と呼ばれました)。
・2005 年現在、約2,200 の言語に翻訳されています。さらに約1,500 の言語への翻訳が進行中です。未着手の言語は約3,700 あります。
4
(4)聖書は、多くの迫害に勝利してきました。
・聖書の一部、または全体の写本は、13,000 以上残っており、聖書の信頼性が否定されるならば、他のどんな古典(例えばプラトン、アリストテレス、シェイクスピアの作品など)も直ちに消し去らなければならないでしょう。聖書は、時の試
練を乗り越えてきました。
・ローマ時代から、今日の共産主義に至るまで、いろいろな迫害を受けてきました。
(5)聖書の内容は、ユニークです。
・預言書としての価値
  創世記3:15 (メシア預言)
  創世記49:10 (ユダ部族から)
  Ⅱサムエル7:12,13 (ダビデの家系から)
  イザヤ53:5,6 (人類の身代わりとして)
  ミカ5:2 (ベツレヘムで生まれる)
  ゼカリヤ12:10 (釘づけにされる)
・歴史書としての価値
・登場人物に関する赤裸々な記述
(6)聖書は、人類の歴史を導いてきました。
6. 旧約聖書は、4つの部分に分かれます。
(1)律法 創世記 ~ 申命記 (5 巻)
(2)歴史書 ヨシュア記 ~ エステル記 (12 巻)
(3)文学書 ヨブ記 ~ 雅歌 (5 巻)
(4)預言書 イザヤ書 ~ マラキ書 (17 巻) 合計 39 巻
7. 新約聖書も、4つの部分に分かれます。
(1)福音書 マタイの福音書 ~ ヨハネの福音書 (4 巻)
(2)歴史書 使徒の働き (1 巻)
(3)書簡 ローマ人への手紙 ~ ユダの手紙 (21 巻)
(4)預言書 ヨハネの黙示録 (1 巻) 合計27 巻
○ 旧約39 巻、新約27 巻、合計66 巻となりますが、掛け算の九九で覚えるとよいでしょう。
    3 × 9 = 27
5
8. 聖書を解く鍵が、2つあります。
(1)イエス・キリスト中心に読んでいかなければなりません。
・聖書のテーマは、イエス・キリストです。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです」 (ヨハネ5:39)
・創世記3:15 では、罪によって堕落した人類を救うメシア(救い主)の約束がすでになされています。
「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」
(創世記3:15)
・そういう観点から聖書を見直すと次のようになります。
  旧約聖書 ……… キリストの準備
  福音書 ………… キリストの出現
  使徒の働き …… キリストの伝達
  書簡 …………… キリストの理解
  黙示録 ………… キリストによる完成
(2)聖霊の導きを受けなければなりません。
 聖書は神の霊感を受けて書かれたものです。
 新興宗教でいう、いわゆる「おふでさき」のようなものとは違います。記者の人格、学び、特長を生かしつつ、記述の過程で神の守りがあったということです。
  ☞参照  Ⅰコリント2:9 ~ 13
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」 (Ⅱテモテ3:16)
「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」 (Ⅱペテロ1:21)
9. 聖書の目的は、私たちに永遠のいのちを与えることです。
 永遠のいのちとは、質的に新しくされたいのちです。
「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」 (ヨハネ20:31)
6
第2課
自己との出会い
「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」 (ローマ7:15)
7
第2課の絵の概念
1. 胸にある光り輝くハート … 人は神のかたちに似せて創造されました。
2. 獄の中で光に背を向けて立つ人 … 創造主に反逆して生きる人間は、あらゆる束縛の
奴隷となっています。
 (1)重荷 ……………………人は、自分の過去を恐れています。
 (2)仮面 ……………………人は、自分を直視することを恐れています。
 (3)隣人との争い …………人は、隣人と平和に暮らすことができません。
 (4)財宝 ……………………人は、物質を支配するよりも、物質に支配されています。
 (5)時計 ……………………人は、死を恐れています。
3. 鍵の前で動き回る蛇 ……サタンは、人に偽りの解放を与えようと動き回っています。
 (1)第1の鍵 ………………物質主義は、もっと富を手に入れよと叫びます。
 (2)第2の鍵 ………………人本主義は、もっと教育を与えよと叫びます。
 (3)第3の鍵 ………………律法主義は、もっと善行を積めと叫びます。
 (4)第4の鍵 ………………神秘主義は、もっと信仰せよと叫びます。
4. 窓から差し込む光 …… 苦境に立つ人間に対して、神からの解決が与えられています。
 (1)部屋の隅の割れ目 ……人は、光に照らされると痛みを感じます。
 (2)差し出された手 ………キリストの救いの手が差し出されています。
 (3)手にある十字型の鍵 …キリストの十字架こそ真の解決です。
8
第2課 自己との出会い
イントロダクション
 私はどこから来てどこへ行こうとしているのだろうか。この問いに対して、明確な答えが得られるまでは、人は決して安らぐことはできません。
「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは」 (詩篇8:3,4)
 自己とは不可解なものです。使徒パウロは、自己矛盾に悩み、次のように告白せざるを得ませんでした。
「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」 (ローマ7:15)
「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。
私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています」 (ローマ7:18,19)
1. 人は神のかたちに似せて創造されました。
 人は、進化によって偶然発生したものではありません。創造主の最高の作品として造られ、他の動物には見られない次のような性質を持っています。
 知性…人は理性的に物事を考え、環境を支配し、創造的な仕事をすることができます。
 感情…人は、芸術に感動し、愛し愛されることに充足を見いだす存在です。
 意志…人は、自らの決断によって、自らの人生を選び取ることができます。
 霊性…宇宙の絶対的人格(神)と交わり、この方を喜ぶことができます。
 人の使命は、この地上において神の代理人として生きることでした。
「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。
地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』(創世記1:28)
2. 創造主に反逆して生きる人間は、あらゆる束縛の奴隷となっています。
 車がガソリンで走るように、人は神とつながることによってのみ豊かな人生を生きることができます。しかし人は、神に反逆し、自分勝手な道を歩むことを選びました。この神への意図的反逆を、罪と言います。
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「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」 (創世記2:16,17)
「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた」 (創世記3:6)
 罪は人をさまざまな束縛の中に陥れました。
(1)人は、自分の過去を恐れています。
 神に反逆したアダムとエバは、神の声を聞いたとき、園の木の間に身を隠しました(創世記3:8)。人は、その道徳性のゆえに、罪責感を負って歩む者となってしまったのです。
「悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい」
(箴言28:1)
(2)人は、自分を直視することを恐れています。
 アダムとエバは、まことの自分の姿を見ることを恐れ、いちじくの葉をつづり合わせて腰のおおいを作りました(創世記3:7)。いちじくの葉は、むなしい人間の努力を表しています。人は外的な何かで自分を飾らなければ、安心して自己受容できない存在となってしまいました。
(3)人は、隣人と平和に暮らすことができません。
 神から責任追及をされたとき、アダムはエバに、エバは蛇に責任転嫁をしようとしました(創世記3:12,13)。人は、罪の重荷を持ったままで生きていくことができないため、絶えず責任を転嫁する機会をうかがっています。
 健全な自己愛がなければ、隣人を愛することができないという真理は、次のイエス・キリストのことばでもわかります。
「そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです」 (マタイ22:37 ~ 39)
(4)人は、物質を支配するよりも、物質に支配されています。 物そのものは、決して悪ではありません。しかし、物の誤用が始まるとき、本来善であるはずのものが、人間の尊厳を破壊し、争いを引き起こし、束縛をもたらすものとなります。
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「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」
(マタイ16:26)
(5)人は、死を恐れています。
 死がやってくると、その人のすべての可能性に終止符が打たれ、すべての活動が停止します。死は不条理なものです。聖書の中には、自然死という考え方はありません。すべての死は、不自然なもの、悲しむべきものです。そしてすべての人が、意識するとしないとにかかわらず、刑の執行を待つ死刑囚のように生きているのです。
「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、─それというのも全人類が罪を犯したからです」 (ローマ5:12)
3. サタンは、人に偽りの解放を与えようと動き回っています。
 苦境に立つ人間に対して、もっともらしい解決が考えられ、提供されてきましたが、そのすべてが、最終的な解放を与えることに失敗してきました。その解決策とはどのようなものであるのか、考えてみましょう。
(1)物質主義は、もっと富を手に入れよと叫びます。
 コマーシャリズムの文明は、神学をもった宗教であると考えられます。そこには儀式性があり、人間の全人的かかわりを要求する力があります。
 また、罪、救いの概念もあります。まさに、近代文明というベールをかぶった宗教そのものです。
(2)人本主義(ヒューマニズム)は、もっと教育を与えよと叫びます。
 人間の知識の量を拡大していけば、いつかは理想郷が到来すると考える人々がいます。しかし、このような幻想は、20 世紀の2つの大戦によって完全に破壊されてしまいました。そして、21 世紀は民族紛争の世紀となっています。
(3)律法主義は、もっと善行を積めと叫びます。
 ユダヤ教のパリサイ主義を挙げるまでもなく、人類は、律法によって救いを達成しようと何度も試みてきました。今日の日本でも、同じことがくり返し行われています。しかし、この考え方は、次のパウロのことばによって、全面的に否定されています。
「なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです」 (ローマ3:20)
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(4)神秘主義は、もっと信仰せよと叫びます。
 信じる対象を問題にせず、とにかく信仰を持つことが大切であるとする日本人特有の考え方は、聖書では、「霊的姦淫」として最も忌み嫌われるものです。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」
(出エジプト20:3)
4. 苦境に立つ人間に対して、神からの解放が与えられています。
 神は決して人間を見捨ててしまわれたのではありません。アダムとエバに呼びかけられた、「あなたはどこにいるのか」(創世記3:9)という声は、今日も全世界に響きわたっています。
(1)人は、光に照らされると痛みを感じます。
 アダムとエバは、なぜ、神の声を聞いたとき身を隠したのでしょうか。人は、どうして、教会に来ることに抵抗を感じるのでしょうか。それは、光に近づくと、痛みを感じるからです。
(2)キリストの救いの手が差し出されています。
 神が、アダムとエバに語りかけたことばは、すべて疑問文でした。彼らを責めるためではなく、救うために神が近づいてくださったのです。神は、どんな人でも、今あるがままで愛し、救ってくださいます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」 (マタイ11:28)
(3)キリストの十字架こそ真の解決です。
 創世記3 章15 節は、原福音(げんふくいん)と呼ばれるものですが、ここには、それ以降聖書の中で展開される神の救いの計画が予表されています。そして、それは、最終的には、キリストの十字架によってサタンの業に勝利するところまで続きます。
「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」
(創世記3:15)
 創世記3 章21 節には、キリストの義の衣が予表されています。これは、人間の作り出した朽ちゆく衣とは違い、永遠に朽ちることのない、神からの賜物としての義の衣です。
「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」
(創世記3:21)
12
第3 課
イエス・キリストとの出会い
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(マタイ16:15)
13
第3 課の絵の概念
1. B.C. の巻物とA.D. の巻物の間に立つイエス
           ……… イエス・キリストによって、世界の歴史は二分されました。
2. 4つの巻物 ………………… イエス・キリストが歴史上のどんな人物とも異なっていることを示す4つの証拠があります。
3. 第1の巻物 ………………… 旧約聖書の預言
( 1)星を指し示す預言者たち ……旧約の預言者たちは、キリスト来臨の預言を語ったが、そのすべてが成就しました。
4. 第2の巻物 ………………… キリスト自身の証言
( 1)十字架と小槌 …………キリストは、自らを神としたため十字架にかけられました。
5. 第3の巻物 ………………… 弟子たちの証言
(1)傷もしみもない小羊 …… キリストは、その生涯において、一度も罪を犯したことがありませんでした。
(2)人と地球をのせたはかり キリストは、人のいのちは全世界よりも重いとされました。
(3)布にくるまれたラザロ … キリストは、その生涯において、多くの奇跡を行われました。
(4)十字架 …………………… キリストは、十字架の死に至るまで愛を実行されました。
(5)空になった墓 …………… キリストは、よみがえられました。
6. 第4の巻物 ………………… 歴史的事実による証言
(1)喜ぶ弟子たち … 今まで臆病だった弟子たちが、一瞬のうちに変えられました。
(2)教会堂 ………… 教会が誕生しました。
7. 不毛の地にある3つの墓 … 世界四大宗教の創始者のうち、キリスト以外の3人は、墓の中に葬られたままで、よみがえりませんでした。
8. 人々を招くキリスト ……… キリストは、今も生きていて、人々を救うことができます。
9. キリストを通して、天国に近づく人々
           ………今も多くの人々が、キリストを通して永遠のいのちを自
分のものとしています。
14
第3課 イエス・キリストとの出会い
イントロダクション
 イエス・キリストほど、世界の歴史に影響を与えた人物はいません。
 しかし、イエス・キリストほど、正しく理解されていない人物もいません。
 イエスとは、ヘブル語のヨシュア(主は救い)をギリシア語に音訳したもの。キリストとは、ヘブル語でメシア(油注がれた者、救い主)と言われた言葉のギリシア語訳。
1. イエス・キリストによって、世界の歴史は二分されました。
 キリストこそ、世界の歴史を二分するにふさわしい方であると、歴史家たちは考えました。キリスト生誕以前をB.C.(Before Christ)、以降をA.D.(Anno Domini、「主の年」の略)と言います。
2. イエス・キリストが歴史上のどんな人物とも異なっていることを示す4つの証拠があります。
 信仰は、知ることから始まります。事実を確かめずして信じることは狂信であり、事実があるのに信じないことは不信仰です。事実を事実として受け取ること、それが信仰です。もちろん、すべての事実を確認できるわけではありませんし、見ずして信じるのが信仰の本質でもありますから、ここで言う「知ること」とは、信じるに足る十分な証拠を理解することをさしています。信仰と理性とは、対立するものではなく、共存するものです。
 イエス・キリストが、信頼に足る人物であることを示す4つの証拠について考えてみましょう。
 ・旧約聖書の預言
 ・キリスト自身の証言
 ・弟子たちの証言
 ・歴史的事実による証言
3. 旧約聖書の預言
(1)旧約の預言者たちは、キリスト来臨の預言を語ったが、そのすべてが成就しました。
・最初のメシア預言
「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」
(創世記3:15)
15
・ユダ部族から生まれるという預言
「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う」 (創世記49:10)
・ダビデの家系から生まれるという預言
「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」 (Ⅱサムエル7:12,13)
・人類の身代わりとして死んでいくという預言
「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな
道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」
(イザヤ53:5,6)
・ベツレヘムで生まれるという預言
「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」 (ミカ5:2)
4. キリスト自身の証言
(1)キリストは、自らを神としたため、十字架にかけられました。
 この方は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)と語り、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)と宣言されました。また、人の罪を赦したり(マルコ2:5)、アブラハムが生まれる前から、自分は存在していると主張したりされました(ヨハネ8:58)。
 キリスト以外に、いったい誰がこのような大胆な宣言をすることができたでしょうか。キリストは、これらの神性宣言のために、裁かれ、十字架にかけられたのです(マタイ26:62 ~ 66)。
5. 弟子たちの証言
(1)キリストは、その生涯において、一度も罪を犯したことがありませんでした。
 キリストと3 年間寝食を共にしたペテロは、こう証言していますが、これは普通の人間から見れば、驚くべき発言です。
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「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました」 (Ⅰペテロ2:22,23)
(2)キリストは、人のいのちは全世界よりも重いとされました。
 人々は、キリストの教えのすばらしさに、特に、人間への深い愛といつくしみの心に感動しました。この方は、人のいのちを全世界よりも重いとされ(マタイ16:26a)、どんな罪人を扱う場合でも、決してその人を辱めるようなことはなさい
ませんでした。
(3)キリストは、その生涯において、多くの奇跡を行われました。
 キリストが神の子であることの証拠の一つは、奇跡です。
 この方は、悪霊を追い出し、病をいやし、死者をよみがえらせ、自然界を支配なさいました。証明もなしに無神論の前提に立ち、すべての奇跡を否定する人にとっては、キリストの奇跡は不可解なものに思えるかもしれませんが、すべての資料を中立な立場で調べる人にとっては、奇跡こそキリストを信じる有力な証拠となります。
(4)キリストは、十字架の死に至るまで愛を実行されました。
 キリストは、人間の思いをはるかに超えた愛を具体的に示してくださいましたが、これこそ神の愛にほかなりません。十字架上で祈られたあの祈りは、人間にはとうてい祈ることのできないものです。
「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』。彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた」 (ルカ23:34)
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての
御子を遣わされました。ここに愛があるのです」 (Ⅰヨハネ4:9,10)
(5)キリストは、よみがえられました。
 あの臆病な弟子たちが、瞬間的に大胆な伝道者の群れへと変えられていったのは、キリストが復活したからです。イスラエル民族の独立が出エジプトという歴史的事実の上に乗っているように、キリスト教会の誕生もキリストの復活という歴史的事実の上に乗っています。復活の事実を認めないで、他の方法で教会の誕生を説明しようとすることは不可能です(Ⅰコリント15 章参照)。
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6. 歴史的事実による証言
(1)今まで臆病だった弟子たちが、一瞬のうちに変えられました。
「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません』」 (使徒4:19,20)
(2)教会が誕生しました。
 教会が誕生したのは、ペンテコステの日でした(使徒2章)。復活したイエスが昇天し、信徒たちの上に聖霊(父の約束)を注いだ結果、教会が誕生しました。
7. 世界四大宗教の創始者のうち、キリスト以外の3人は、墓の中に葬られたままで、よみがえりませんでした。
ユダヤ教 ………… アブラハム(墓はヘブロンにある)
イスラム教 ……… マホメット(墓はサウジアラビアのメディナにある)
仏教 ……………… 釈迦(骨と灰は8万もの寺院に配られた)
8. キリストは、 今も生きていて、人々を救うことができます。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです」
(ヘブル13:8)
9. 今も多くの人々が、キリストを通して永遠のいのちを自分のものとしています。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」 (黙示3:20)
18
第4 課
新しいいのちとの出会い
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 (Ⅱコリント5:17)
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第4課の絵の概念
1. 空にある2枚の石板 ……… 神の聖さの基準は永遠に変わりません。
2. 光に背を向けて立つ人 …… 人の罪の性質も永遠に変わりません。
  (1)第1の木 …………… 罪の生活は、収穫を生み出しません。
  (2)第2の木 …………… 罪の生活は、死をもたらします。
3. 燃える火 …………………… 神の裁きも永遠に変わりません。
4. 十字架 ……………………… 神の愛も永遠に変わりません。
5. 父の背に乗る子ども ……… 神が人を救う方法も永遠に変わりません。
6. 光に向かって立つ人 ……… 救われた人の祝福も永遠に変わりません。
  (1)第1の木 …………… 平安 ( Peace )
  (2)第2の木 …………… 目的 ( Purpose )
  (3)第3の木 …………… 力 ( Power )
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第4 課 新しいいのちとの出会い
イントロダクション
 人々は、なぜクリスチャンになろうとしないのでしょうか。また、イエス・キリストを信じたと言いながら、なぜ救いの確信がない方が多いのでしょうか。考えられる
理由は、(1)情報不足、(2)誤解、(3)偏見などです。
 この課では、人は、どのようにして、聖書が約束する豊かないのちを自分のものとすることができるのかについて学びます。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。
わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」
(ヨハネ10:10)
1. 神の聖さの基準は永遠に変わりません。
 世の中のものすべてが変化していく中で、人は、永遠に変わらないもの、これだけは確かであるというものを求めています。神の律法(十戒)によって示された神の聖さの基準は永遠に変わりません(出エジプト20:1 ~ 17)。
(1)あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
(2)あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
(3)あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
(4)安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
(5)あなたの父と母を敬え。
(6)殺してはならない
(7)姦淫してはならない。
(8)盗んではならない。
(9)あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
(10)あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
 神の律法は、人を幸せな生活に導くための灯台の光のようなものです。私たちは、
この光を無視することもできますが、その結果襲ってくる不幸な刈り取りは、だれ一
人まぬがれることはできません。
2. 人の罪の性質も永遠に変わりません。
 神の聖い光に照らされたとき、すべての人は罪人であることが明らかになります。
罪とは何でしょうか。それは、次のようなことです。
・悪魔から出たこと (ヨハネ8:44)
・律法に逆らうこと (Ⅰヨハネ3:4)
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・なすべき正しいことを知っていながら行わないこと (ヤコブ4:17)
・信仰から出ていないこと (ローマ14:23)
(1)罪の生活は、収穫を生み出しません。
 イエスのたとえ話(マタイ13:3 ~ 23)の中には、4種類の土地が出てきます。
「道ばたの土地」、「土の薄い岩地」、「いばらの地」、そして「良い地」です。「良い地」の中にも、100 倍の実を結ぶものもあれば、60 倍、30 倍のものもあることが分かります。
 ある方々はクリスチャンにならなくても、十分生きていけると考えておられます。大切なことは、そのような人が神と和解するなら、より豊かな実を結ぶことができるということです。
(2)罪の生活は、死をもたらします。
「 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」 (創世記2:17)
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」 (ローマ6:23)
3. 神の裁きも永遠に変わりません。
 聖書は、神の裁きについて明確に教えています。
「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです」 (ローマ2:5)
「しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです」
(Ⅱペテロ3:7)
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」 (ヘブル9:27)
 特に、ルカ16:19 ~ 31 の「金持ちとラザロ」のたとえ話は、私たち日本人にとっては大きな意味を持っています。多くの人が、自分も先祖の行っている所に行きたいと言います。しかし、先祖は、いったい何と叫んでいるのでしょうか。金持ちがどう語っているか注目しましょう。
「私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください」 (ルカ16:28)
22
4. 神の愛も永遠に変わりません。
 十字架こそ、神の愛の象徴(シンボル)です。かつては、恐ろしい死刑の道具であったものが、今や人々から愛されるものに変えられました。
(1)神の愛は、無条件の愛です。 (マタイ11:28)
(2)神の愛は、自己犠牲の愛です。( ローマ 5:8)
(3)神の愛は、永遠の愛です。 (エレミヤ31:3)
5. 神が人を救う方法も永遠に変わりません。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(ヨハネ3:16)
 神は、信仰によって、私たちを救おうとされました。信仰とは、
(1)福音に関する知識
(2)福音に対する同意
(3)福音を受け取る決断
(4)福音に従う行動 のことです。
6. 救われた人の祝福も永遠に変わりません。
 救いは、さまざまな祝福をもたらしますが、ここでは、3つの代表的な祝福につい
て考えてみましょう。
(1)平安(Peace)
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリスト
によって、神との平和を持っています」 (ローマ5:1)
(2)目的(Purpose)
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造
られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらか
じめ備えてくださったのです」 (エペソ2:10)
(3)力(Power)
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るよう
になる』」 (ヨハネ7:37,38)
 あなたもきょう、次の祈りによって新しい人生をスタートすることができます。
「天のお父さま、私は罪人でした。お赦しください。イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として私の心にお迎えいたします。罪赦され、神の子とされたことを感謝します。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン」
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第5 課
幼子として
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」
(Ⅰペテロ2:2)
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第5課の絵の概念
1. 幼子 ………………………… クリスチャンは、霊的な幼子です。
(1)おむつをしている幼子 ………… 不完全な姿
(2)おしゃぶりをしている幼子 …… 抜けきらない古い習慣
2. 母親 ………………………… 神さまは、幼子の成長を期待されます。
(1)幼子を抱く母親 ……… 神さまは、現実の姿を受け止めてくださいます。
(2)成人した幼子の姿 …… 神さまは、可能性に目を留めてくださいます。
3. 哺乳びん …………………… 幼子は、みことばの乳で成長します。
(1)第1のびん …………… 聖書に何が書かれてあるか発見する。
(2)第2のびん …………… それが、どういう意味か解釈する。
(3)第3のびん …………… 自分の状況に適用する。
4. 5 羽の鳩 …………………… 幼子は、祈りという霊の呼吸で成長します。
(1)第1の鳩(親指) ……… 呼びかけ
(2)第2の鳩(人差し指) … 賛美
(3)第3の鳩(中指) ……… 自分の必要
(4)第4の鳩(薬指) ……… 罪の赦し
(5)第5の鳩(小指) ……… 悪からの守り
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第5 課 幼子として
イントロダクション
 人はどのようにしてクリスチャンになるのでしょうか。洗礼を受けたからといって、
また、教会に出席しているからといって、それだけでクリスチャンになるわけではあ
りません。
 クリスチャンになるためには、新しく生まれなければなりません。それは、イエス・キリストを心に迎え入れることです。神のことば(聖書)の約束の確かさにより、たとえその人が新生したことを感じられなくても、新しいいのちに一歩踏み出したのです。それは、たとえて言えば、赤子が生まれたと感じなくても生まれているのと同じです。また、信仰の決心をいつしたのか分からないが、確かに信じている方がおられます。不安に思わなくても大丈夫です。誕生日が分からないからといって、生まれていないわけではないのです。
1. クリスチャンは、霊的な幼子です。
 クリスチャンは、新しい生き方を始めた霊的な幼子です。神さまが私たちに期待しておられるのは、幼子から成人へと成長していくことです。
(1)不完全な姿
 幼子は、おむつが取れるまでには、3 年近くもかかります。おむつをしているからといって、異常なわけではありません。それが普通なのです。しかし、私たちは、クリスチャン生活について、かなり間違った考え方をし、救われたばかりの人に対して過大な期待を寄せていることはないでしょうか。また、自分に関しても、救われた後の姿が以前とあまり変わっていないことに心を痛め、救いの確信さえも疑ってしまうことはないでしょうか。
 そのような誤解は、クリスチャンが霊的な幼子であることを理解していないところからやってきます。
(2)抜けきらない古い習慣 私たちは古い習慣からなかなか抜け出すことができません。部屋の模様替えをした後、つい以前家具のあったところに体が動いてしまうことがあります。クリスチャンとして成長し、古い習慣から抜け出すには、時が必要です。
2. 神さまは、幼子の成長を期待されます。
 神さまは、私たちが成長するために、さまざまな訓練をお与えになります。それは人間の親子関係の場合と同じです。
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「 そして、あなた方に向かって子供に対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の凝らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛するものを懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを
加えられるからである。』訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなた方を子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか」
(ヘブル12:5 ~ 7)
(1)神さまは、現実の姿を受け止めてくださいます。
(2)神さまは、可能性に目を留めてくださいます。
 この2つのポイントをしっかりと心にとめておくことが大切です。イエスがペテロを召されたときのことばはこれです。
「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。
『あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします』」 (ヨハネ1:42)
 イエスは現実の姿を知り、「あなたはヨハネの子シモンです」と言われました。しかし、それと同時に彼の内にある可能性にも目を留め、「あなたをケパ(岩という意味)と呼ぶことにします」とも言われたのです。
3. 幼子は、みことばの乳で成長します。
 肉体が、外から摂取した食物によって出来上がっているように、私たちの内なる人(霊性)も、みことばの乳によって出来上がってきます。次に述べる3つの点は、聖書を読んでいく上での基本的なステップです。聖書解釈学というものは、それ自体が科学であり、芸術ですので、限られたスペースですべてを書き尽くすことはできませんが、
解釈学の基本を知っておくだけで、大きな助けになります。
(1)聖書に何が書かれてあるか発見する(What does it say?)。
 ここで一番大切なことは、普通の本を読むように読むことです。何か特別な文章でも読むような恐れを感じる必要はありません。
(2)それが、どういう意味か解釈する(What does it mean?)。
 次にしなければならないことは、解釈です。現代人と聖書には3つのへだたりがあります。
  ・時間的へだたり
  ・地理的へだたり
  ・文化的へだたり
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 このへだたりを越えなければ、本当の意味を解釈することができません。正しい理解のためには、次の2点を念頭に置いておくことが大切です。
  ・著者はここで何を意図しているか。
  ・それを聞いた当時の人々はどう理解したか。
 正しい解釈を助けるために、注解書、参考書、牧師の説教、などから学ぶ習慣を身につけましょう。
(3)自分の状況に適用する(What does it mean to me?)。
 聖書研究の目的は、まだ知らない真理を発見し、それを体験し、それに基づいて行動を開始することです。
4. 幼子は、祈りという霊の呼吸で成長します。
 聖書には、「霊の呼吸」という用語は出てきませんが、クリスチャンの祈りを表現するものとしては、この用語は最適です。食物がなくても水さえあれば、40 日くらいは生きることができますが、呼吸ができないと、数分で窒息死してしまいます。
 祈りの方法を、「主の祈り」(マタイ6:5 ~ 15)から学んでみましょう。
(1)呼びかけ
「天にいます私たちの父よ」
 祈りは、呼びかけの言葉から始まります。呼びかける相手は「天にいます私たちの父」です。この呼びかけは、神への完全な信頼から生まれるものです。歴史上、キリスト教反対者となった人たちの中には、父親との関係に問題があった人たちが多くいます。
(2)賛美
「御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」
 この段階では、神の偉大さや性質を思い起こし、神をたたえましょう。神の永遠性、遍在性、愛の性質などについて黙想しましょう。また、過去の祝福を思い起こしましょう。
 さらに、神の支配と神の御心が地上に実現するように、「神の国の計画」が進展するように祈りましょう。教会のため、牧師や役員のため、宣教師のために祈るのはこの段階です。また、まだ救われていない人が救われるように祈るのもこの段階です。
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(3)自分の必要
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」
 主の祈りの特徴は、神の御心、そして、自分の必要という順番で祈ることです。
この段階では、肉体的な必要のために祈りましょう。また、食物以外のさまざまな必要についても祈りましょう。経済的試練、人間関係の試練、肉体的試練などについて祈るのは、この段階です。
 思い煩いは罪であることを思い出し、その日に必要な力が与えられるように祈りましょう。
(4)罪の赦し
「私たちの負い目をお赦しください」
 これは、罪の赦しを求める祈りです。神は罪人である私たちが、そのままの姿で神の前に出ることを待っておられます。
 「主の祈り」の組み立てに従うなら、罪の告白は祈りの冒頭に来なくてもよいのです。他人の罪を赦すことが罪が赦される条件である、という意味ではありません。
(5)悪からの守り
「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」
 これは、霊的な戦いの中で、守りが与えられるようにという祈りです。クリスチャンは、この世から隔離された「無風状態」の中に置かれるのではありません。クリスチャンは、この世で患難を経験しますが、キリストにあって勝利します(ヨハネ
16:33)。
29
第6 課
神の国の市民として
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません」 (マタイ5:14)
30
第6課の絵の概念
1. 山上で説教するイエス ……………イエス・キリストは、神の国の王として来られま
した。
2. 人々の中央に位置するイエス ……イエス・キリストは、神の国のいっさいの権威を
持っておられます。
3. イエスを取りまく8 組の人々 ……神の国の市民は、この世と区別されています。
(1)ダビデ ……………………心の貧しいものは幸いです。
(2)ヨ ブ ………………………悲しむ者は幸いです。
(3)モーセ ……………………柔和な者は幸いです。
(4)パウロ ……………………義に飢え渇いている者は幸いです。
(5)良きサマリヤ人 …………あわれみ深い者は幸いです。
(6)ステパノ …………………心のきよい者は幸いです。
(7)バルナバ …………………平和をつくる者は幸いです。
(8)ダニエルの3人の友人 …義のために迫害されている者は幸いです。
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第6課 神の国の市民として
イントロダクション
 人は、正しい自己像(セルフ・イメージ)を持っていなければ、豊かな人生を歩むことができません。前課では、クリスチャンは霊の幼子であることを学びましたが、この課では、天国の市民であることを学びます。
 学びの前提として、次の点に注意しましょう。
「この群集を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た」 (マタイ5:1)
・山上の説教は、律法による救いを説いたものではない。
・山上の説教は、弟子たちに語られたものである。
1. イエス・キリストは、神の国の王として来られた。
 イエス・キリストの公生涯最初のメッセージは、「悔い改めなさい。天の御国が近づ
いたから」(マタイ4:17)でした。「神の国」も「天の御国」も同じ意味です。「神の国」
こそ、イエスの宣教の中心テーマでした(この場合の「神の国」とは、メシア的王国、
つまり千年王国のことです)。神の国には、
   (1)王の存在
   (2)王の権威
   (3)王の民
の3つが必要です。私たちがすぐに考える地理的な概念は、この言葉には含まれていません。「神の国」には、信者の心の中にある神の支配という意味もあります。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」 (マタイ6:33)
2. イエス・キリストは、神の国のいっさいの権威を持っておられます。
 イエスは、山上の説教の中で、旧約聖書をたびたび引用し、「あなたがたは……と聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います」というパターンで、自らが、旧約を解釈し、それを霊的な次元にまで高める権威があることを示しておられます。
 また、この地上を去る時、弟子たちに次のようにお命じになりました。
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプ
テスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます』」 (マタイ28:18 ~ 20)
32
3. 神の国の市民は、この世と区別されています。
 神は、神の国の市民に対して、この世の民とは異なった生活様式、価値基準、倫理基準を要求されます。神の民であるイスラエルは、この世と分離した生活を始めたとき祝福を受け、この世と同化したとき滅びへと向かいました。
  ・アブラハムの召命 (創世記12:1 ~ 3)
  ・出エジプトの体験 (レビ18:1 ~ 4)
  ・王政の移行 (Ⅰサムエル8:5,19,20)
 ・偶像礼拝の罪 (エゼキエル20:32)
 ・イスラエルの捕囚 (Ⅱ列王記17:7,8)
 山上の説教を理解するためには、以上のような背景を頭に入れておかねばなりません。イエス・キリストは、神の国の市民を、「地の塩」(マタイ5:13)、「世界の光」(マタイ5:14)、と呼ばれましたが、ここには、神の3つの期待があります。
 ・他の部分とは区別されている。
 ・拡散していく性質がある。
 ・良い影響を与えることができる。
 イエス. キリストは、神の国の市民が持つ8つの性質について触れ、そのような人々を、「幸いな人々」と呼ばれました。この「幸い」とは、
 ・主観的に「幸い」と感じるかどうかでなく、客観的な宣言です。
 ・死後来るものでなく、この世にあって味わえるものです。
(1)心の貧しい者は幸いです。 (マタイ5:3)
 心の貧しい者とは、自分の必要を認めることのできる人、悔い改めの心のある人のことです。ダビデは、このような性質を持った人物です。
 ・主の戦士     (Ⅰサムエル17:47)
 ・恵みを受けた罪人 (詩篇32 篇、51 篇)
 ・詩人       (詩篇23 篇)
(2)悲しむ者は幸いです。 (マタイ5:4)
 クリスチャンライフは、バラ色の人生とは異なります。クリスチャンであっても問題に直面します。また、信仰者であるがゆえの問題もあるのです。そのようなとき、ヨブを思い出しましょう。彼は、その苦しみの中から、次のようなレッスンを学びました。
 ・試練は罪の結果だと考えてはいけない。
 ・人の言葉は助けにならない。
 ・神の恵みは十分である。
33
(3)柔和な者は幸いです。 (マタイ5:5)
 柔和とは、弱さのことではなく、自己制御できる能力のことです。また、客観的に自己を評価できる人のことです。モーセこそ、この条件にピッタリの人物です。
「 さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」
(民数12:3)
 ・エジプトでの40 年間(自己能力の開発)
 ・ミデアンでの40 年間(無力さの発見)
 ・出エジプトの40 年間(柔和な性質の開花)
(4)義に飢え渇いている者は幸いです。 (マタイ5:6)
 これは、神との関係において、他人との関係において、正しく生きたいと願うことです。義を激しく求めた人として、第1番目に名前を挙げることができるのは、パウロです。
 ・律法の義を求めた人
 ・神の義を知った人
 ・神の義のために燃え尽きた人
(5)あわれみ深い者は幸いです。 (マタイ5:7)
 助けを必要としている人々への配慮が、この「あわれみ」です。良きサマリヤ人は、このあわれみを実際の行動で示した人です(ルカ10:30 ~ 37)。インドのカルカッタで奉仕したマザーテレサは、現代人に対して最も雄弁に「あわれみ」が何であるかを語る神の器です。
 ・自らがあわれみを受けたと知る人
 ・隣人の必要に敏感な人
 ・見返りを期待しない人
(6)心のきよい者は幸いです。 (マタイ5:8)
 これは、裏表なく生きる人、動機まできよい人のことです。この性質を持った人として、私がまっ先に思い出すのは、ステパノです。彼は、聖霊に支配された人物です。
 ・人格が変えられた人(天使の顔をした人)
 ・力に満たされた人(敵を論破した人)
 ・見えないものを見た人(神の右に立つイエスを見た人)
「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』」 (使徒7:55,56)34
(7)平和をつくる者は幸いです。 (マタイ5:9)
 真理は人々を二分します。そこに争いを作り出します。神第一に生きようと思えば、すぐにこの世からの攻撃を受けます。しかし、だからと言って、クリスチャンは、自ら争いを作り出すものではありません。すべての人々と平和を求めるように教えられています。バルナバは、平和をつくる人でした。
 ・献身の人(使徒4:36,37)
 ・慰めの人(使徒9:26 ~ 30)
 ・赦しの人(使徒15:37)
(8)義のために迫害されている者は幸いです。 (マタイ5:10)
 「神の国」と「この世の王国」との間の戦いがある限り、「迫害」は必ず起こります。
クリスチャンがどんなに真実に歩んでも、その真実さのゆえに、「迫害」がやって来ます。ここで思い出すのが、ダニエルの3人の友人(シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ)のことです。
「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。
神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません』」 (ダニエル3:16 ~ 18)
 ・迫害に対して心備えができていた。
 ・最後の裁きを神にゆだねていた。
 ・結果にかかわらず、幸いであることを選びとった。
35
第7 課
兵士として「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」 (エペソ6:12)
36
第7課の絵の概念
1. 戦場 ……………………クリスチャンの生活は、霊の戦いとしての側面を持っています。
2. 上から差し込む光 …この戦いは、主の戦いです。
3. 3つの火矢 …………クリスチャンを攻撃する敵が、3つあります。
( 1)黒い影 ………………… 悪魔(サタン)
( 2)王座 …………………… 肉の願い
( 3)衣・食・住 …………… 世の欲
4. 3人の兵士 ……………霊の戦いを戦う兵士には、3種類の人々がいます。
( 1)傷ついた兵士 …………… 生まれながらの人
( 2)絶望している兵士 ……… 肉に属する人(キリストにある幼子)
( 3)戦う兵士 ………………… 御霊に属する人
5. 戦う兵士の武具 ……神が与えてくださる霊の武具を身につけなければなりません。
( 1)帯 ………………………… 真理の帯
( 2)胸当て …………………… 正義の胸当て
( 3)サンダル ………………… 平和の福音の備え
( 4)大盾 ……………………… 信仰の大盾
( 5)かぶと …………………… 救いのかぶと
( 6)剣(つるぎ) …………… 御霊の与える剣(神のことば)
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第7課 兵士として
イントロダクション
 クリスチャン生活に限らず、生きていくことは、それ自体が戦いの連続です。赤子は、誕生したとたんに、新しい戦いの中に入ります。人間の肉体は、外部から侵入して来る細菌と絶えず戦っています。植物は、水を注ぎ、手入れをしてやらなければ、枯れてしまいます。結婚生活は、偶然に出来上がるものではなく、2人の力で育てていかなければなりません。そのように、生きることは、そのまま戦いであるのです。
1. クリスチャン生活は、霊の戦いとしての側面を持っています。
 クリスチャンになっても、戦いがなくなるわけではありません。イエスは、死の直前、弟子たちのために祈ってこう言われました。
「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません」 (ヨハネ17:15,16)
 クリスチャンに保証されているのは、問題からの自由ではなく、問題の中での自由です。
2. この戦いは、主の戦いです。
 しかし、クリスチャンは、この霊の戦いを一人で戦うのではありません。ともにいて戦ってくださるイエス・キリストがおられます。
「この戦いは主の戦いだ」 (Ⅰサムエル17:47)
「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もま
た彼らの言うことに耳を傾けます」 (Ⅰヨハネ4:4,5)
3. クリスチャンを攻撃する敵が、3つあります。
 この敵は、明確に3つに分けられるものではなく、相互に関連し合っているものなのですが、ここではあえて3つに分けて考えてみましょう。
(1)悪魔(サタン)
 神を信じる人でも、悪魔の存在に関しては疑問を抱いている場合があります。しかし、ひとたび神の声のみに聞き従っていこうと決めた瞬間から、悪魔の存在は現実的なものとなってきます。
38
 悪魔は、私たちを単に悩ますためだけでなく、完全に破壊し尽くすために動き回っています。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」
(Ⅰペテロ5:8)
 サタンは、
・神のわざを妨害します。 (マルコ4:15)
・人を神から離そうとします。 (ヨブ2:4,5)
・人の礼拝を要求します。 (ルカ4:6 ~ 8)
・御使いに変装します。 (Ⅱコリント11:14)
・聖書を悪用します。 (マタイ4:6)
・不法の人を起こします。 (Ⅱテサロニケ2:9)
 サタンが伝道を妨害することは、使徒の働きの記述からも明らかです。
・サマリヤの魔術師シモン (使徒8:9)
・サラミスの魔術師バルイエス (使徒13:6)
・ピリピの占いの霊につかれた若い女奴隷 (使徒16:16)
・エペソでの悪霊とユダヤ人の魔よけ祈祷師 (使徒19:13)
(2)肉の願い
 ここで注意したいのは、ここで言う「肉」とは、肉体や人間性のことをさしているのではなく、人間の内にある悪しき原理のことを言っているということです。肉体そのものは、決して悪ではありません。
「ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行す
ることがないからです」 (ローマ7:17,18)
 人間の自己中心性は、絶えず十字架につけられなければなりません。それは、ある時点での決断であると同時に、日々継続しなければならないことでもあります。
「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」 (ガラテヤ5:24)
 ガラテヤ5:16 ~ 26 には、肉の原理と御霊の原理の対比が描かれていますが、クリスチャンは、内側にこの2つの性質を持っているがゆえに、絶えざる葛藤の中を歩むことになります。
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(3)世の欲
「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、
この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます」 (Ⅰヨハネ2:15 ~ 17)
 世とは、神が創造された世界(中心的には人間)をさす場合と、神に反抗する勢力をさす場合とがあります。ここでは、後者の意味で用いられます。
 前項では、クリスチャンの二面性(肉の性質と霊の性質)についてふれましたが、ここでも別の意味での二面性があります。それは、クリスチャンは、この世のものではないが、この世に遣わされているということです。
・この世のものではない。 (ヨハネ17:14 ~ 16)
・この世に遣わされている。 (ヨハネ17:18)
・この世と調子を合わせてはいけない。 (ローマ12:2)
 自らが寄留者であることを告白する人生こそ、祝福の人生です。
4. 霊の戦いを戦う兵士には、3種類の人々がいます。
 この霊の戦いを、人々はどのように戦うのでしょうか。
  ・生まれながらの人
  ・肉に属する人
  ・御霊に属する人
 以上の3区分に従って考えてみましょう。
(1)生まれながらの人
 この人々にとっては、目に見えるものだけが現実で、霊の世界、みことばの現実などは、愚かなことに思えるのです。従って、霊の戦いには、完全に敗北します。
「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊
のことは御霊によってわきまえるものだからです」 (Ⅰコリント2:14)
(2)肉に属する人(キリストにある幼子)
 パウロは、コリントのクリスチャンのことをこう呼びました(Ⅰコリント3:1 ~ 4)。
・堅い食物は与えられない。
・ねたみや争いがある。
 この人々は、霊の戦いの現実を知ってはいても、それに勝つことのできない人々です。
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(3)御霊に属する人
「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません」 (Ⅰコリント2:15)
 ここで、第5 課で学んだ霊の呼吸(主の祈り)についてもう一度考えましょう。
5. 神が与えてくださる霊の武具を身につけなければなりません。
 御霊の人は、神の武具を身につけ、この戦いに勝利することができます。
「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」
(エペソ6:14 ~ 17)
(1)真理の帯
人は真理に従うなら自由を発見し、真理に逆らうなら、何一つすることができません。
「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。『もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします』」
(ヨハネ8:31,32)
「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです」 (Ⅱコリント13:8)
(2)正義の胸当て 胸当ては、心臓を守るものです。
 パウロは、神の義を発見したときに起こる価値観の変化について次のように語っています。
「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」 (ピリピ3:8,9)
(3)平和の福音の備え
 神の御心を行うのに必要な心構えを保つことが大切です。兵士は、すぐに動き回れるように足にサンダルを履いていました。
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(4)信仰の大盾
 この信仰は、みことばへの信仰でなければなりません。見ていないことを確信するのが信仰です。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」
(へブル11:1)
(5)救いのかぶと
 これは、救いの確信のことです。確信がなければ、敵の術中にはまります。
「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」 (Ⅰテサロニケ5:8)
(6)御霊の与える剣(神のことば)
 イエスの荒野の試みは、すべて、みことばによる勝利でした。
 クリスチャンの戦いは、敵に背を向けたときに敗れます。神の与える武具は、すべて体の前面を守るものです。敵に背を向けることなく、前進して行きましょう。
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第8 課
羊として
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」 (ヨハネ10:10)
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第8課の絵の概念
1. 岩場で危険な状態にある羊たち ……… 導きを誤って受け取ると、重大な失敗につながります。
(1)恐れている羊 …………… 失敗を恐れると、失敗します。
(2)目かくしをしている羊 … 定まった自分の計画に固執すると、失敗します。
(3)サングラスをした羊 …… 導きについて無知な人は、失敗します。
2. 1本の道を歩む羊たち ………………… 神の御心を歩む人々は、祝福を受けます。
(1)聖書の門 ………………「みことば」によるうながし
(2)祈りの門 ………………「祈り」による平安
(3)羊飼いの杖の門 ………「状況」による確認
(4)道ばたの羊たち ………「信仰の友」による助言
3. 空に映った像と湖面の影 ……………… 導きに関するその他の一般原則
(1)子羊をだくイエス …… 主への信頼
(2)湖面の影 ……………… 御心を行いたいという願い
(3)ランプ ………………… 一歩一歩の原則
(4)天秤ばかり …………… 理性的判断
4. 3つに分かれた道 ……………………… 自由の子の原則
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第8 課 羊として
イントロダクション
 聖書は、神と私たちの関係を、羊飼いと羊にたとえます。羊が持っているいくつかの特徴を考えると、それも、なるほどとうなずくことができます。
  ・羊は、臆病です。
  ・羊は、外敵の攻撃に弱い。
  ・羊は、食物と水を絶えず必要としています。
  ・羊は、集団行動に走りやすい。
  ・羊は、肥りすぎると危険な状態になります。
  ・羊は、判断力に欠ける場合があります。
 このような羊の性質は、そのまま彼らが良い羊飼いを必要としていることを表しています。
 イエス・キリストは、私たちこそそのような羊であることを理解し、次のようにお
語りになりました。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。
わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」
(ヨハネ10:10)
1. 導きを誤って受け取ると、重大な失敗につながります。
 神は、一人一人の人生に計画をお持ちですが、すべての人が、その計画を発見し、祝福のうちを歩んでいるわけではありません。導きを確認することは、祝福された人生の基本的な条件ですが、そこには、導きの原則を学ぶという科学性があり、その原則を適用するという芸術性があります。
(1)失敗を恐れると、失敗します。
 恐れには、信仰と同じくらいの力があります。それは、否定的な方向に働く力です。
恐れは、人を縛り、喜びを奪い去ります。そして、多くの場合、それは、サタンか
ら来ています。
 私たちが最も恐れなければならないのは、「失敗への恐れ」によって、為すべきことができなくなることです。
(2)定まった自分の計画に固執すると、失敗します。
 欲しいものを買ってもらえないで、駄々をこねている子どもを見たことがありますか。人間の親は、しぶしぶそのような要求に応じることがあっても、神はそうではありません。最初から自分の計画を持って神に近づいても、導きを発見できるものではありません。
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(3)導きについて無知な人は、失敗します。
 導きの原則について学ぼうとしない人は、免許証なしに車を走らせる人のようなものです。あらゆる所に危険が待ち伏せしています。
2. 神の御心を歩む人々は、祝福を受けます。
 神は、一人一人のために、祝福の道を用意していてくださいます。どんな問題の中にも、絶望の中にも、必ず祝福の道が一本あります。これが、私たちがキリストにあって神に対して抱いている信仰です。導きに関する4つの一般原則について学んでみます。
(1)「みことば」によるうながし
 聖書は、次のように自己表現をしています。
  ・聖書は、光です。 (詩篇119:105、箴言6:23)
  ・聖書は、雨です。 (イザヤ55:10,11)
  ・聖書は、食物です。(エレミヤ15:16、I ペテロ2:1,2、へブル5:12 ~ 14)
  ・聖書は、火です。 (エレミヤ20:9、23:29)
  ・聖書は、種です。 (Ⅰペテロ1:23)
  ・聖書は、剣です。 (エペソ6:17)
(2)「祈り」による平安
 祈りの中で示された思い、アイデア等は、大切に扱いましょう。新生したクリスチャンの思いは、神の御心を映す鏡です。
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」
(ピリピ2:13,14)
(3)「状況」による確認
 神が摂理的に働いておられるかどうか、状況によって確認する必要があります。
状況確認の古典的な例は、ルツ記2:3 にあります。
「ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、
それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった」
(ルツ2:3)
 この例で、ナオミは、状況を通して、ボアズとルツが結婚へと導かれることを確信しています。
(4)「信仰の友」による助言
 神は他の兄弟姉妹たちを通しても語られます。一人よがりの確信を打ち砕き、より確かな基礎を築くためにも、他の人の意見に耳を傾けることです。
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 異邦人社会へ最初の宣教師を遣わしたアンテオケ教会の例を見てみましょう。
「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。そこで彼らは、
断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した』 (使徒13:2,3)
3. 導きに関するその他の一般原則
 ここでは、その他の一般原則として、4つの点について学んでみましょう。
(1)主への信頼
 恐れに対する反対の概念が信頼です。詩篇23 篇で、ダビデが表現している信頼は、
次のようなものです。
  ・信頼の前提 ……………「私の羊飼い」 (1 節)
  ・日々の必要の満たし …「緑の牧場」、「いこいの水のほとり」 (2 節)
  ・緊急時の守り …………「生き返らせ」 (3 節)
  ・死への勝利 ……………「死の陰の谷」 (4 節)
(2)御心を行いたいという願い
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します」
(ヨハネ14:21)
(3)一歩一歩の原則
 一度にすべての計画が見えるわけではありません。分かった所まで歩むと、その次が見えてきます。使徒16 章のマケドニヤ人の幻の箇所を考えてみましょう。彼らは、最初からヨーロッパ大陸に渡ることを考えていたわけではありません。一歩
一歩進んで、トロアスにまで来たのです。トロアスで、ここから先どう進んでよいのか分からないときに、幻を見たのです。
(4)理性的判断
 神は、私たちの理性をもお造りになりました。情報を集め、正しい判断をくだせるように努力しましょう。
  ・これは、神の栄光につながるか。
  ・これは、人々をキリストに近づけるか。
  ・これは、私の人格を高めるか。
  ・これは、他の人がやったことのないものか。
  ・これは、私がやれば他の人よりも良くできるか。 
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4. 自由の子の原則
 最後に、以上の原則でどうしても判断できない場合、どうすれば良いか考えてみましょう。A でもB でも良いように思われるとき、私たちは、自由の子として、選び取る特権と責任があります。このように祈りましょう。
「神さま。私はあなたの御心を求めて祈りましたが、この場合は、A でもB でも良いように思われます。自由の子として、私自身で選ばせていただきます。
間違っていたならすみやかにお示しください」
「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい」( ガラテヤ 5:13)
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第9 課
人生のパノラマ
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」 (Ⅱコリント3:18)
49
第9課の絵の概念
1. 胎児 ………………………人間の存在は、受精した瞬間から始まります。
2. 幼児 ………………………肉体の誕生を経て、地上生涯に入ります。
3. 十字架の前の人 …………新生体験を経て、霊的いのちが活動し始めます。
4. 墓 …………………………地上生涯の終わりに、肉体の死がやって来ます。
5. 墓から出て来た人 ………主イエスの再臨のとき、新しい肉体によみがえります。
6. ライオンと遊ぶ子ども …千年王国がこの地上に実現し、自然界の秩序が回復されます。
7. 天に昇る階段 ……………新しい天と新しい地で、主とともに永遠に住むようになります。
【補足】
1) 5. と6. の間の炎 ……千年王国の前に来る患難時代
2) 6. と7. の間の炎 ……サタンや罪人が最終的に裁かれる白い御座の裁き
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第9 課 人生のパノラマ
イントロダクション
 「人は死んだらどうなるのか」。母親が病弱だった私は、少年時代から、この問いに悩まされ続けてきました。ある時は絶望し、ある時はその問題について考えないようにし、自分をごまかしながら生きてきました。しかし、ついに聖書の中に、驚くべき答えを発見したのです。
 この課では、人はどこから来てどこへ行こうとしているのか、について学んでみましょう。
1. 人間の存在は、受精した瞬間から始まります。
 人間の創造に関する最も感動的で明確な記述が、詩篇139 篇に見られます。
  ・全知の神 (1 ~ 6 節)
  ・遍在の神 (7 ~ 12 節)
  ・創造の神  (13 ~ 16 節)
  ・神への信頼 (17 ~ 24 節)
「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」 (詩篇139:16)
 人間の存在確率を示す数式 400 1
―――― × ――――
30 万 5 億
2. 肉体の誕生を経て、地上生涯に入ります。
 人生の諸体験の中で、最も危険、かつ劇的なものが出生体験です。胎児のときとは全く異なった存在形態に移り変わるのです。
  ・呼吸を始めます。
  ・乳を飲み始めます。
  ・人格的交流を求め始めます。
 しかし、胎児にとっては、このような世界があること自体とうてい理解することができないものです。
3. 新生体験を経て、霊的いのちが活動し始めます。
 胎児が、出生後の世界を信じることができないのと同様に、生まれながらの人も、霊的いのちがあることを信じることができません。しかし、イエス・キリストは、ヨハネの福音書3 章で、ニコデモに対して、はっきりと、新生の必要性についてお語りになっています。
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「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません』」 (ヨハネ3:3)
 イエスとニコデモの対話から、新生についての次の3点が明らかになります。
  ・新生の必要性 (necessity)
  ・新生の神秘性 (nature)
  ・新生の緊急性 (nearness)
 肉体の誕生と霊の誕生には相関性があります。
  ・苦痛  (カルバリの十字架)
  ・呼吸  (祈り)
  ・乳   (みことば)
  ・交流  (交わり)
4. 地上生涯の終わりに、肉体の死がやって来ます。
 聖書の中では、死とは消滅を表す言葉ではなく、関係の断絶を表す言葉であるということに注目しましょう。
「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」 (創世記2:16,17)
 聖書には、3つの死が描かれています。
  ・霊的な死 (現世において経験する神との断絶)
  ・肉体の死 (肉体と霊の分離)
  ・永遠の死 (罪人の最終的な運命)
 ここで扱うのは、第二の死(肉体の死)です。人は死ぬとどうなるのでしょうか。
 ○ 肉体は墓に葬られます。
 ○ 霊は、パラダイス(アブラハムのふところ)に行きます。
「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています」
(ピリピ1:23)
 ○ 罪人の霊は、シェオール(ハデス)に行きます(ルカ16:19 以降参照)。
 旧約時代は、シェオール(ハデス)の中に、苦しみの場所と慰めの場所(パラダイス)が存在していましたが、イエス・キリストの復活と昇天以降、パラダイスは第三の天にまで引き上げられました。
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「そこで、こう言われています。『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた』─この『上られた』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた
方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです─」 (エペソ4:8 ~ 10)
  ○ 罪人の運命について、次のことを理解しておく必要があります。
  ・人は、その人に与えられた光の量によって裁かれる。
  ・ハデスにおいて、罪の軽重はある。
  ・第二のチャンスはない。
5. 主イエスの再臨のとき、新しい肉体によみがえります。
 死んでから、新しい肉体によみがえるまでを中間状態と言いますが、この間も、人は意識を持ち続け、祝福の生活を送ることができます。しかし、主イエスの再臨のとき、ついに、死者は新しいいのちによみがえります。
 ・再臨に関して、新約聖書では300 回以上の言及があります(25 節に1つ)。
 ・キリストは、預言者、祭司、王です。
 ・死者はよみがえり、生ける者は、空中に引き上げられます。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄
光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」 (ピリピ3:20,21)
  ○ 信者の裁きがなされます。しかし、これは、罪の裁きではなく、報酬の裁きです。
  ・天国にも階級はあるが、ねたみにもとづくものではない。
  ・さまざまな冠がある。
   「朽ちない冠」 (Ⅰコリント9:25)
   「喜びの冠」 (Ⅰテサロニケ2:19)
   「義の冠」 (Ⅱテモテ4:8)
   「いのちの冠」 (ヤコブ1:12)
   「栄光の冠」 (Ⅰペテロ5:4)
6. 千年王国がこの地上に実現し、自然界の秩序が回復されます。
 神の民は、王なるキリストとともに、千年の間、地上王国を支配するようになります。
これは、イザヤによって預言された幻の実現です(イザヤ11:6 ~ 9)。
53
 この時期、次のような現象が起こります。
  ・自然界の回復 (ローマ8:18 ~ 22)
  ・イスラエルの回復
  ・異邦人の救い
  ・戦争の廃絶 (イザヤ2:4)
  ・病の消滅 (イザヤ35:4 ~ 6)
7. 新しい天と新しい地で、主とともに永遠に住むようになります。
 黙示録21、22 章に預言されている祝福が実現します。神の民にとって、永遠に変わることのない祝福がやって来るのです。
【補足】
(1) 千年王国の前に、7年間の患難時代がやって来ます。患難の前に携挙が起こるかどうかについて、学者の間で意見が分かれます。患難時代の最後に、ハルマゲドンの戦いが起こります。
(2) 千年王国の終わりに、白い御座の裁きが行われ、サタンと罪人は、火の池に投げ入れられます(黙示20:7 ~ 15)。
54
第10 課
史上最大のプロジェクト
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます』」 (マタイ28:18 ~ 20)
55
第10課の絵の概念
1. トランペットを吹く4人の人物 ……大宣教命令は、4箇所に記されています。
2. 地球の上の王冠 ……………………大宣教命令の保証は、イエス・キリストの権威です。
3. 4人の人物の上の炎 ………………大宣教命令の力は、聖霊です。
4. 4本のトランペット ………………大宣教命令の内容は、4つの動詞で表現されます。
(1)第1のトランペット …………………… 行く
(2)第2のトランペット …………………… バプテスマを授ける
(3)第3のトランペット …………………… 教える
(4)飾りのついた第4のトランペット …… 弟子とする
5. 地球を取り囲む5つの惑星 ………大宣教命令の動機は、5つあります。
(1)獄の中の人物(第2課) ………………… 人は滅びつつある。
(2)ザアカイ ………………………………… 私たちは、負債を負っている。
(3)放蕩息子 ………………………………… キリストの愛が迫ってくる。
(4)百人隊長 ………………………………… キリストの命令である。
(5)空を見上げる人物 ……………………… キリストの再臨が近い。
56
第10 課 史上最大のプロジェクト
イントロダクション
 人類の歴史上、世界征服の幻を持った人物や国家が、多く現れました。例えば、
  アレキサンダー大王
  ローマ帝国
   ナポレオン
   ヒットラー
などが考えられます。日本の歴史を見ても、
  豊臣秀吉
  徳川家康
  明治から昭和にかけての近代日本
など、その良い例です。
 しかし、これらの人物、国家の試みは、すべて失敗に終わりました。現代においては、
経済進出という形で、企業が世界征服をねらっています。
 この課で学ぶイエス・キリストのプロジェクト(大宣教命令)は、その規模において、
動機において、影響力において、今まで私たちが論じてきたどんな人物や国家よりも大きなものです。
1. 大宣教命令は、4箇所に記されています。
 よみがえりのキリストは、40 日間、弟子たちの前に姿を現し、彼らを教え導かれました。その教えの中心テーマは、「神の国」でした(使徒1:3)。
 その「神の国」を来たらせるために、昇天されるとき弟子たちに与えたのが、大宣教命令です。聖書には、4箇所にその記録が残されています。
 ・マタイによる記録 (マタイ28:18 ~ 20)
 ・マルコによる記録 (マルコ16:15 ~ 18)
 ・ルカによる記録  (使徒1:8)
 ・ヨハネによる記録 (ヨハネ20:21 ~ 23)
2. 大宣教命令の保証は、イエス・キリストの権威です。
 このような大きなプロジェクトが成功するためには、確実な保証がなければなりません。
  ・お 金?
  ・人 材?
  ・組 織?
57
 弟子たちには、そのすべてがありませんでした。彼らにとっての保証は、イエス・キリストの権威でした。
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプ
テスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます』」 (マタイ28:18 ~ 20)
  【参照聖句】 ピリピ2:5 ~ 11、 コロサイ2:15、 Ⅰコリント15:55 ~ 56、 
   エペソ1:21 ~ 23、 黙示15:3 ~ 4
3. 大宣教命令の力は、聖霊です。
 弟子たちは、キリストと3年半にわたって生活をともにしてきました。また、十字架の死と復活の目撃者ともなりました。しかし、それだけでは、キリストの証人となることができませんでした。彼らは、ペンテコステの日の、聖霊の油注ぎを必要としたのです。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」 (使徒1:8)
「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが
聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」
(使徒2:1 ~ 4)
 初代教会の弟子たちが、伝道のために、聖霊の力を必要としたのなら、現代に生きる私たちは、どんなにその力を必要としていることでしょうか。
4. 大宣教命令の内容は、4つの動詞で表現されます。
 マタイ28:18 ~ 20 を中心に、その内容について考えてみますと、イエス・キリストがご計画されたこのプロジェクトの目的、方策が、明確になってきます。
(1)行く
 ・ある目的地に行くことではない。
 ・弟子たちは、迫害によって散らされた(使徒8:4、11:19 ~ 21)。
 ・どこに行こうとも、主の証人とならなければならない。
 ・存在を通した伝道。
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(2)バプテスマを授ける
 ・水のバプテスマは、霊的にキリストと一体化したことの象徴。
 ・バプテスマは、人の前での公の信仰告白(マタイ10:26 ~ 33)。
(3)教える
 ・バプテスマは一回限りの行為。
 ・教えることは、繰り返し行われる行為。
 ・キリストの命令を教える。
 ・自分で選択するのではなく、すべてを教える。
(4)弟子とする
 ・4つの動詞の中で、唯一の命令形。
 ・大宣教命令の中心語句。
 ・イエスの方法論 ――― 弟子づくり。
 ・パウロの方法論 ――― 弟子づくり。
「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たち
にゆだねなさい」 (Ⅱテモテ2:2)
 パウロ → テモテ → 忠実な人たち → 他の人たち
  (親)    (子)      (孫)      (ひ孫)
5. 大宣教命令の動機は、5つあります。
 史上最大のプロジェクトは、動機において、他のどんなプロジェクトとも異なります。
自らの利益のためでなく、きよい動機で、神の国を広げていこうとするのは、教会だけです。
(1)人は滅びつつある
 目の前の人が、滅びつつあることを知ったなら、私たちはどのような行動をとるでしょうか。
 1954(昭29)年の洞爺丸遭難事故で、沈没直前の船内で自分の救命具を他の乗客に譲って水死したカナダ人宣教師アルフレッド・ラッセル・ストーンさん(当時25 歳)の行為は、今も多くの人に感動を与えています。
(2)私たちは、負債を負っている「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さな
ければならない負債を負っています」 (ローマ1:14)
「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ」 (Ⅰコリント9:16)59
「彼らは話し合って言った。『私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう』」(Ⅱ列王記7:9)
(3)キリストの愛が迫ってくる
「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、
もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」 ( Ⅱコリント 5:14,15)
(4)キリストの命令である
「と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。
また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします」( マタイ 8:9)
(5)キリストの再臨が近い
 世界的に、終末に対する実感が広がっています。
 1743 年、ヘンデルのメサイアをはじめて聞いたキング・ジョージ2 世は、ハレルヤ・コーラスに入ると立ち上がり、「王の王である方の前でどうして座っていることができようか」と言ったそうです。
 人々が、王の王である方の前で、大コーラスを歌う日が、必ずやって来ます。
あなたに、その用意ができていますか。
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第11 課
聖書的スチュワードシップ
「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」
(Ⅰペテロ4:10)
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第11 課の絵の概念
1. ひざまずいている左上の人物 ………… 良い管理者は、先ず神から受けます。
2. 宝の壺を管理する人物 ………………… 良い管理者は、神からゆだねられたものを管
理します。
3. 中央の人物と壺についた王冠マーク … 良い管理者は、所有権が誰にあるか知ってい
ます。
4. 7つの宝の壺 …………………………… 良い管理者が管理しなければならない宝が7
つあります。
(1)心臓のマーク …………………霊(心)
(2)頭脳のマーク …………………理性
(3)運動する人のマーク …………肉体
(4)金貨のマーク …………………財
(5)聖書のマーク …………………福音
(6)口のマーク ……………………言葉
(7)時計のマーク …………………時間
5. 幻の中の人物 …………………………… 良い管理者は、清算の喜びを思い描きます。
(1)さし出されたタオル …………より大きな奉仕
(2)フルーツバスケット …………す早く聞かれた祈りの答え
(3)冠 ………………………………神からの称賛
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第11 課  聖書的スチュワードシップ
イントロダクション
 第9 課から第12 課まで、タイトルに英語が使われていますが、これは意図的なものです。
 「スチュワードシップ」とは、「スチュワード」(執事、家令、支配人、給仕)から来た言葉で、新改訳聖書では、「スチュワード」にあたる言葉として、「管理者」を採用しています。日本語の持つ「管理人」というイメージを忘れて、聖書的スチュワードシップについて学んでみましょう。
1. 良い管理者は、先ず神から受けます。
 聖書的スチュワードシップのモデルは、創世記39:4 ~ 6 のヨセフです。ここには、4つの要素があります。
 ・忠実な管理者
 ・主権を持った主人
 ・主人から管理者への全権委任
 ・最終的な清算
 私たちは、スチュワードシップを考えるときに、すぐに与えることを連想しますが、その前に、神から受けることをしなければなりません。
 消極的になることがいかにも霊的であるような印象を持つかもしれませんが、必ずしもそうではなく、あらゆる面で豊かになることが良い管理者としての第一歩であることを受けとめておきましょう。
2. 良い管理者は、神からゆだねられたものを管理します。
 受け取った後に来るのが良き管理です。
 イエスは、タラントのたとえ(マタイ25:14 ~ 30)で、良き管理者とはどういうことかを明確に教えておられます。ここには、劣等感から解放され、豊かな人生を歩む秘訣があります。
・各人には能力差がある。
・1タラント(最も小さい)でも、その額はたいしたものである(1 タラントは6,000 デナリ、つまり16 年分の給与)。
・他人との比較でなく、自分のタラントをどこまで使うかが問われる。
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3. 良い管理者は、所有権が誰にあるか知っています。
 この地上のものすべてが、神に属します。
 自分の肉体も、生命も、持てる物も、すべて神のものです。所有権が自分にないことが分かり始めますと、生き方が変わります。
 他人の本を借りたときは、細心の注意を払って読みます。テレビ番組の制作のためにお借りした写真を紛失したことがありました。心が痛みました。一度は、お赦しいただくしかありませんでした。もう一度は、後日見つかって、返却することができました。
 このように、私たちの持てるものはすべて、神から一時的にお借りしたものです。
4. 良い管理者が管理しなければならない宝が7つあります。
 ここでは、特に代表的な7つの宝について考えてみます。
(1)霊(心)
 人間の内なる部分は、外から見えにくいだけに、軽く考えたり、管理対象外のものと思ったりすることがありますが、そうではありません。第5 課「幼子として」の学びを思い出してください。新しく誕生した生命は、育てられなければなりません。
 信仰者の失敗は、内なる人の管理を怠るところから来ることを思い、第5 課で学んだ霊の呼吸(主の祈り)を実行しましょう。
(2)理性
 信仰と理性とは対立するものではありません。単純な信仰は、無知になることではありません。神のみことばをより深く知るためには、私たちは読書し、音楽に親しみ、最新情報にふれ、世の中の動きに敏感でなければなりません。
 旧約の預言者たちは、様々な背景から出てきた人たちでしたが、次の3つの点では、共通していました。
  ・神のことばに対する深い理解
  ・イスラエルの国家的使命に対する認識
  ・時代を読み、時代に語りかける能力
 私たちも、現代に生きる預言者として、百年単位でものを考えることのできる力
を身につけたいものです。
(3)肉体
「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」( ローマ 12:1)
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「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」 (Ⅰコリント6:19 ~ 20)
 聖書には、人間を肉体と霊に分けて考える考え方はありません。へブル的認識は、あくまでトータルなものとして人間をとらえます。
   ・栄養
   ・睡眠(休憩)
   ・運動
(4)財
 クリスチャンの献金は、すべてのものが神から来たことを認め、それに対する感謝の表現として神にお返しすることです。旧約時代は、什一が教えられ、新約時代には、「強いられてでなく、喜んでささげる」ことが教えられています(マラキ3:8 ~
12、Ⅱコリント9:6 ~ 15 参照)。
 初代教会のクリスチャンたちは、自分の持ち物を売って、貧しい人々を助けたと記されてありますが(使徒4:32 ~ 37)、現代では、地球規模でこのことを考えなければならなくなっています。
(5)福音
 家令の使命は、主人の言いつけ通りに食事を出すことです。
 みことばの解き明かしは、聖書をそのまま語ることです。人間の問題は、創造の日から変化していません。また、神の解答も変わりありません。
   ・人は、孤独です。
   ・人は、罪の重荷を持っています。
   ・人は、死を恐れています。
(6)言葉
 言葉は、思いを作り、状況を変化させていく力があります。神は、ことばにより全世界を創造されました。そして、人間に、言葉を操る能力をお与えになりました。
ですから、言葉の管理には、細心の注意を払う必要があるのです。
「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」
(ヤコブ3:2)
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(7)時間
 時間は無限にあるのではありません。また時間は、すべての人に公平に与えられています(1 日24 時間)。
 しかし、ある方は同じ時間を有効に用い、ある方は浪費しています。物理的時間以外に、精神的時間というものがあることを知らなければなりません。時間は、作り出し、活用するものです。
 どこに、どれだけの時間を割いているかが、その人の興味を示すバロメーターです。
 聖書的優先順位は次の通りです。
  ・神
  ・家族
  ・教会
  ・仕事
5. 良い管理者は、清算の喜びを思い描きます。
 私たちの人生は、神の前における清算を計算に入れながら生きていかなければなりません。この清算は、終末的概念ですが、同時に、日々繰り返し行われていることでもあります。良き管理者は、次のような祝福を受けます。
(1)より大きな奉仕 神は豊かに与えてくださいます。
 私たちが与える以上に、神は私たちに与えてくださることが分かりますと、献金、奉仕に関するつまずきは取り去られます。
(2)す早く聞かれた祈りの答え
 忠実なしもべの祈りは、神が聞いてくださいます(Ⅰヨハネ3:17 ~ 22)。
(3)神からの称賛
 「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタイ25:21)との声こそ、私たちの人生を意味あるものと認める神の声です。
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第12 課
終末時代のエバンジェリズム
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、
また勧めなさい」 (Ⅱテモテ4:2)
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第12 課の絵の概念
1. 笑顔の人物 ………………… 伝道の第一条件は、魅力的な人物になることです。
 ・神の子としての特権に気づいている。
 ・告白していない罪がない。
 ・聖霊の満たしを確信している。
 ・伝道の方法を知っている。
2. 4人の人物 ………………… 救いを必要としていない人はいません。
3. サマリヤの女の絵 ………… イエスの方法は、最も有効な個人伝道の方法です、
(1)コーヒーカップ ……… 心に語りかける。
(2)第1課の絵 …………… 頭(理性)に語りかける。
(3)第2課の絵 …………… 心(良心)に語りかける。
(4)第3課の絵 …………… 霊に語りかける。
(5)第4課の絵 …………… 意志に語りかける。
4. 第5 課以降の絵 …………… 伝道のゴールは、弟子づくりです。
5. 窓の外の夕暮れの景色 …… 伝道のために残された時は少なくなっています。
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第12 課 終末時代のエバンジェリズム
イントロダクション
 主の大宣教命令が具体的な形で実現する方法は一つしかありません。それは、「信徒による個人伝道」です。
 初代教会の時代、キリスト教が爆発的に広がったのは、パウロやペテロといった指導者たちが活躍したからだけではありません。名もない人が、その生活の場で、あるいは散らされていった先で、イエスを救い主として証しした結果、ローマ帝国の各地で教会が生まれ、成長していったのです。
 このセミナーのまとめとして、私たちも、「信徒による個人伝道」について学んでみましょう。
1. 伝道の第一条件は、魅力的な人物になることです。
自分の内側に未解決の問題を抱えている人が、他の人を助けようとしても、無理があります。また、自分が経験していないことを、他の人に伝達することにも無理があります。
人の心に届き、人の心を動かす力は愛です。伝道が「自己目的」的にならず、愛に根ざしたものになるなら、人は救われます。そのためには、伝える側が、霊的に充足した状態にいなければなりません(これは、すべての問題から自由になっているという意味ではありません。もしそうならば、この地上生涯で、そのような状態を期待することはできませんから、私たちは伝道不能ということになってしまいます)。
 ・神の子としての特権に気づいていること(ローマ8:14 ~ 17 参照)。
 ・告白していない罪がないこと(レビ16:6 ~ 10,20,21、Ⅰヨハネ1:8 ~ 10)。
 ・聖霊の満たしの確信があること(エペソ6:18、Ⅰヨハネ5:14,15)。
 ・伝道の方法を知っていること(Ⅰペテロ3:15)。
2. 救いを必要としていない人はいません。
 伝道のさまたげになるのは、マイナス信仰です。私たちの心の中には、無意識に次のような思いが働きます。
 ・金銭的に恵まれている人は、救いを必要としていない。
 ・成功している人は、救いを必要としていない。
 ・頑固な人は、救われにくい。
 ・貧しい人は、生活に追われていて、福音のメッセージに耳を傾ける余裕がない。
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 そして、いつの間にか、「あの人だけは、絶対に救われない」という深い確信になってしまいます。
 しかし、救いを必要としていない人はいません。すべての人が、神から招かれています。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」 (マタイ11:28)
3. イエスの方法は、最も有効な個人伝道の方法です。
 ヨハネの福音書には、イエスがある個人に対し、またあるグループの人々に対して語りかけておられる箇所が何回か出てきます。イエスの方法は、絶えず、聞き手の側に立って語るということでした。そして、それは、パウロの方法でもありました(Ⅰコリント9:19 ~ 23)。
 人は、他人が与える理由によってではなく、自分自身が考える理由で決心していきます。このことをよく覚えておきましょう。
 ・ニコデモとの会話(3:1 ~ 21) ――――――――――――――「神の国と新生」
 ・サマリヤの女との対話(4:1 ~ 42) ―――――――「生ける水」
 ・五千人の給食の後のメッセージ(6:22 ~ 71) ―――「いのちのパン」
 ・生まれつきの盲人のいやし(9:1 ~ 41) ―――――「世の光」
(1)心に語りかける。
「ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「『わたしに水を飲ませてく
ださい』と言われた」 (ヨハネ4:7)
 イエスがサマリヤの女に語りかけられた方法は、ただちに彼女にある種の好感を
与えました。
  ・ユダヤ人の男性が、
  ・サマリヤ人の女性に、
  ・水を求めた。
 人は、心が開いた人に対して、また、好感を持った人に対してのみ耳を傾けます。
私たちの人格そのものがメッセージになるということを知っていなければなりません。
「心に語りかける」という段階を経て、はじめて次のステップに進むことができます。
(2)頭(理性)に語りかける。
「イエスは答えて言われた。『もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょ
う』」 (ヨハネ4:10)
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 サマリヤの女の興味は、「水」でした。そこでイエスは、「生ける水」について語り始めています。
 聖書的背景の全くない多くの日本人は、キリスト教とは数多くある宗教のうちの一つにしかすぎないと考えています。その人々に伝道するためには、聖書がユニークな本であることを先ず示す必要があります。
 ここで、第1課「聖書との出会い」の絵を用いて伝道してみましょう。上記(1)のステップが終了したと思われる友人、家族に、4回で終わる簡単な聖書の学びがあることを告げ、お誘いしてみましょう。
  ・場所、時間は相手の希望通りにする。
  ・力まないで、より親しくなるチャンスだぐらいの気持ちで接する。
  ・相手の反応に注意しつつ、一つ一つのステップを確認しながら進む。
  ・決して、プレッシャーを感じさせないようにする。
(3)心(良心)に語りかける。
「イエスは彼女に言われた。『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい』」
(ヨハネ4:16)
 心(良心)に語りかけるとは、決して相手の人格を見下したり、プライドを傷つけたりすることではありません。イエスは、どんな罪人に接する場合でも、相手の人格を尊重し、恵みをもって接しておられます。
 聖書に関して、ほとんど知識のない日本人に対して、クリスチャンの立場から罪を説明しようとするとき、細心の注意を払わないと、不必要な気まずさ、対立関係を生み出すことがあります。
  ・偶像礼拝についてどう語るか。
  ・「キリストを知らないで死んだ人はどうなるか」という質問にどう答えるか。
 第2課「自己との出会い」の絵を用いて、人間の姿について話し合ってください。教えるという態度でなく、自分の証しをするつもりで分かち合ってください。相手の反応をよく見、心を開いているか、拒否しているか確かめながら一歩一歩進んでください。もし相手が、自分の心の深い問題について語り始めたら、良いしるしと受け取ってよいでしょう。
(4)霊に語りかける。
「イエスは言われた。『あなたと話しているこのわたしがそれです』」
(ヨハネ4:26)
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 イエスは、ここで自己啓示、つまり、「わたしこそメシアである」との宣言を行われましたが、これは驚くべきことです。弟子たちにさえまだ明かしていないことを、ここで明かされたのです。この女の一番深い要求にキリストは答えてくださいました。
 第3課「キリストとの出会い」の絵を用いて、霊の必要に語りかけましょう。
(5)意志に語りかける。
「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。『来て、見てください。
私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょう
か』そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た」 (ヨハネ4:28 ~ 30)
 この女は、一つの決断をしてキリストのもとを去りました。「水がめを置いて」ということばのうちに、それが象徴されているではありませんか。
 第4課「新しいいのちとの出会い」の絵を用いて、意志に語りかけましょう。
ここで大切なことは、その人の心の準備ができているかどうか、つまり時が来て
いるかどうかです。未熟児を無理やり生ませるようなことをしてはいけません。
結果は神にゆだねるのですが、どんな結果が出ても、相手の人と良い関係を保
つことができるように、注意します。
4. 伝道のゴールは、弟子づくりです。
 大宣教命令のゴールは、弟子づくりでした。サマリヤの女は、すぐさま、町の人に対して宣教師となりました。そのように、私たちのゴールも、新しい信者を守り導き、弟子としていくことです。
5. 伝道のために残された時は少なくなっています。
「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています」 (ヨハネ4:35)
 目を上げて見ましょう。
   ・収穫の主を
   ・収穫の時を
   ・収穫の畑を
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